アップル 設備投資に5900億円:水平分業か垂直統合か?
日経新聞より。
http://www.nikkei.com/tech/business/article/g=96958A9C93819499E3E5E2E0E08DE3E5E2E6E0E2E3E0E2E2E2E2E2E2;p=9694E3EAE3E0E0E2E2EBE0E4E2E2
数字が語るアップル「デザイン経営」のすごみ 設備投資に5900億円 2012/4/19 7:00
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◇設備投資額 3320億円工場を持たないファブレスメーカーという印象が強いアップルだが、その設備投資額は実はソニーの2049億円をはるかに上回る。2011年は3320億円を注ぎ込んだ。2012年はさらに増額して、5893億円もの設備投資を行う計画だ。
巨額の資金を活用し、同社は何千台という単位の大量の切削加工機やレーザー加工機を導入。これらを製造委託先の加工工場に貸し出すことで、1枚のアルミ板を削り出して形を作る「ユニボディー」構造など、これまでの常識では考えられなかったデザインを生み出した。実はアップルは新しいデザインを実現するために相当のリスクを負っているのだ。
モノ作りの常識から考えると、製造委託先の工場や自社工場が持つ既存の生産設備に合わせた加工ができるようにデザインを行うのが当たり前だ。しかしアップルのアプローチは逆。実現したいデザインに合わせて、加工設備をゼロから工場に導入させるのだ。
その代わりに生産設備のみならず検査機器までをアップルが用意する。これらをどのように使いこなせばアップルが求める品質のデザインが出来上がるか、というレシピも添えて設備をサプライヤーに貸与する。こうして安定して高い品質のモノ作りを行う態勢を整えている。あるサプライヤーの幹部によれば「アップルのモノ作りに対する知識は、生産の現場で働く工場の技術者よりも豊富だ」と言う。
生産設備をアップルが握っているので、製造委託先の加工工場がほかのメーカー向けに同じ加工技術を提供することはない。デザインの流出を防ぐと言う意味でも、アップルが設備を持つ意義は大いにある。
アップルが目指しているのは、新しいモノ作りのシステム。同社は決して、企画とデザイン、マーケティングだけの企業ではない。
アップルがEMS(製造委託先)に工作機械を貸し出して製品を製造させているとのこと。機械が特殊なのだろうが、その使用方法まで指示しているらしい。これは経済学でいうホールドアップ問題への対応策としておもしろいと思ったので今回はこの点について。
アップルのようなファブレスメーカーとホンハイ・フォックスコンのようなEMSの場合、ホールドアップ問題が起きうる。ホールドアップ問題とは関係特殊投資が過少になる問題。関係特殊投資というのはその関係でしか役に立たない投資をいう。
例えば、アップルが「1枚のアルミ板を削り出して形を作る『ユニボディー』構造」のiPhoneを製造委託するからといってホンハイが専用の工作機械を購入してしまうと、厄介なことになる。なぜならアップルはホンハイの足元を見ることができるようになるためだ。アップルからすれば、工作機械は自分の製品にしか使えないのだから、自分が製造委託を止めると言えば、相手は困るぞと考える。逆にホンハイはこのような状況に陥らないようにアップル専用の投資はしないようにする。よって全体としてみれば関係特殊な投資がなされ、iPhoneが作られて、売られれば経済にプラスになるのにそれが実現されないことが起こる。
このようなホールドアップ問題への対応策として、垂直統合がある。例えば、メーカーが下請けを買収する。この例でよく出てくるのがGMが車体メーカー(名前は忘れてしまったが)を買収したという話。下請けを買収してしまえば、関係特殊な投資も十分に行われるようになる。しかしファブレスのような水平分業は垂直統合の非効率を解消するために存在するようなものなので、垂直統合に戻ると当然問題がある。例えばサンクコストだろう。サンクコストの問題は既に行なってしまった投資を取り返そうとしてさらに深みにハマってしまうこと。例えば、プラズマテレビの工場を作ってしまったので、工場を稼働させればさせるほど赤字が増えるのに「まだ取り返せる」と考え工場閉鎖せずに赤字をふくらませること。
水平分業も垂直統合も一長一短なわけだが、アップルは工作機械を貸し出すことによって設備投資については自社でリスクを負う(垂直統合)が、それ以外の労働・土地についてはリスクを負わない(水平分業)という選択をして、この「水平か?垂直か?」という問題に対処しているように思える。この点が興味深い。
出川通『新事業とイノベーションにおける知財の活かし方』
2011年に出版された本を紹介するシリーズの52冊目。前回に続いて今回も知財。経営学にMOT(management of technology)という分野がある。技術経営と訳される。この分野は主にイノベーションをテーマにしていることが多く知財(主に特許)とも関連が深い。本書も技術経営+知財な一冊。
- 作者: 出川通
- 出版社/メーカー: 発明協会
- 発売日: 2011/09/16
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出川通『新事業とイノベーションにおける知財の活かし方』(2011)発明協会 ★★★
著者の出川氏は企業を定年退職した後、MOTを教えているコンサルタントのようだ。なので本書も学問的ではなく実践的。本書の範囲は(1)技術系(特許)かつ(2)新規事業立ち上げに限定されている。本書の主張は簡単に言ってしまえば<特許(技術)とマーケットを開発段階ごとに対応付けろ>ということ。例えば、発明の用途などを拡げてポートフォリオとして出願するべきだがマーケットにニーズがないようなものは出願するなとか、拡げて出願した特許は自社で実施しなくてもアライアンスに使えるとか。当たり前だよねっていう話。ただ当たり前だけど、当たり前だからこそ尤もだし重要なことだろう。このあたりが本書の評価が難しいところ。
重要なのは、「技術に価値があるのではなく、顧客ニーズに価値がある」ということを明確にして知財を位置付けることです。(p.161)
まったく賛成。当たり前だけど。
なお本書は技術とマーケットの対応付けを行うためのロードマップやらなんやらを紹介している。開発段階についてはジェフリー・ムーアの『キャズム』に基づいている。またマーケットの規模予測はフェルミ推定に基づいている。
以下、内容のメモ。
●マーケットから技術(特許)を見る
出川氏は技術者であり、上のようなマーケットから知財を見る立場なので、特許について冷静な見方をしている。特許関係者にありがちな「特許で何でも解決!」という"特許脳"ではない。ここが出川氏のもっとも良いところだろう。
少し前までは、部門組織を維持するために、自己目的的な目標を掲げそれをクリアすることに重きを置く知財マネジメントがしばしば見受けられました。経営環境が厳しくなると経営者からは外からの収益確保、ライセンス収支の黒字化などがますます強く求められますが、当然ながら知財のマネジメントや人件費にかかる費用を賄うレベルの収益の達成は難しいのです。(p.144)
この問題意識は重要。
特許の支えのないイノベーションの成功例は幾らでもあり・・・(p.43)
出願される特許の8割は使われず事業上は無価値に近い(p.52)
活用されない知財はコストだけを発生する不良資産になります。(p.57)
[特許の価値評価について]結論を先にいうと、これというよい方法はありません(p.53)
ですよね。
通常は、「事業の失敗」=「知財でも失敗」のケースの方が多い(p.84)
よくある失敗例として、管理系出身者で経理関係にのみ強い人材が任命されて、顧客ニーズや研究開発の内容が十分に理解できないまま、権限を行使してタイムスケジュールと経費計画にばかり強弁を振るって浮き上がってしまうケースがあります。(p.149)
官僚制の逆機能の一種。事務局・総務がもっとも発言力を持つという。
[これからの]時代には顧客のニーズに応えることが最も大切であり、顧客価値に近い商標、意匠、著作権などの価値が相対的に大きくなってきました。(p.150)
●Q&A
各章末に付されたQ&Aがおもしろい。きっと出川氏の講義を受けた知財実務家の実際の質問なのだろう。リアリティがすばらしい。本書でもっとも印象に残った部分はこの質問部分。
Q 大企業では往々にして役に立たない特許を多数、自己目的的に、知財組織温存のために出願します。そして初期投資を無駄にしてよいのかという理屈でズルズルと無駄な経費を積み上げることも多いのが実情です。これらを防ぐのにMOT視点での知財マネジメントをどう行ったらよいのでしょうか。(p.63)
Q 経営陣から知財投資の回収が十分にできていないという声が聞こえます。(p.65)
Q 最近は新技術が無くてもマーケット主導によって従来技術の組み合わせとコンセプトでヒットする新製品が増加しています。(p.82)
Q あるイノベーションの初期には成功したが、結局は読みが外れ、市場のニーズがその後大きく変わったり、特許が有効に機能しない低価格市場が形成されたりして、思惑が大きく外れた場合についての質問です。(p.84)
これに対する出川氏の答えは「再度事業化を狙う、ダメならライセンスを狙う、ダメなら特許を放棄する」であり真っ当。
【参考文献】
ピーター・ドラッカー『イノベーターの条件』『プロフェッショナルの条件』
バーゲルマン=クリステンセン『技術とイノベーションの戦略的マネジメント』
クレイトン・クリステンセン『イノベーションのジレンマ』
ジェフリー・ムーア『キャズム』
ヘンリー・チェスブロウ『オープンイノベーション』
ヒュウゴ・チルキー『科学経営のための実践的MOT』
細谷功『地頭力を鍛える』
大石哲之『地頭力が強くなる!』
東大ケーススタディ研究会『地頭力を鍛えるフェルミ推定ノート』
- 作者: ジェフリー・ムーア,川又政治
- 出版社/メーカー: 翔泳社
- 発売日: 2002/01/23
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石井正『世界を変えた発明と特許』
2011年に出版された本を紹介するシリーズの51冊目。今回は知財。著者の石井正氏は元特許庁の官僚。現在は大阪工大の知的財産学部長。知財ブームの時にこの学部を作った本人。特許庁OBにありがちだが、石井氏は特許の歴史についての本を何冊か書いており本書もその一冊。本書の内容はライト兄弟の飛行機特許など歴史的に有名な発明とその発明が特許係争に巻き込まれる様子の紹介。お話としてはなかなか面白い。発明を特許の明細書に基づいて技術的に解説している点も好印象。
- 作者: 石井正
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2011/04/07
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石井正『世界を変えた発明と特許』(2011)筑摩書房 ★★★
ひさしぶりの石井正氏。新刊が出ていたのでちくま新書ということもあり読んでみた。類書としては上山昭博『発明立国ニッポンの肖像』だろう。上山氏の著書との違いは本書の方が範囲が広い。第一には上山氏は日本の発明に限定しているが本書は世界をカバー。上山氏の本は発明に限定しているが本書は特許までカバーしている。広いからいいという訳でもなく、どちらも同じくらいいい本だと思う。なかなか楽しめた。
扱われている発明家・発明は次のもの。厳密にはレントゲンだけは発明ではなく発見。
第1章 ワット(蒸気機関)
第2章 エジソン(電力システム)
第3章 ライト兄弟(飛行機)
第4章 マルコーニ(無線)
第5章 ショックレー(トランジスタ)
第6章 キルビー(IC)
第7章 豊田佐吉・喜一郎(自動織機)
第8章 レントゲン(X線)
本書のよい点は発明と特許が組み合わさっているところだ。例えば、ショックレーに関連して職務発明を説明したり、ライト兄弟やマルコーニ(というよりRCA)に関連してパテントプールを説明したり。このアイデアはいい。たぶん本書が初めてだろう。
【第2章 エジソン(電力システム)】
名和小太郎『起業家エジソン』とほぼ同じ。この本は参考文献に挙げられているが。
エジソンの優れていたのは電力システムを構想した点にある。しかし直流にこだわったため投資家(コーネリアス・バンダービルトら)に見放され経営権は奪われた(エジソン電灯社からGEになった)。なぜ直流ではダメなのか。電圧の変換が難しく発電所から高電圧で送ると損失が大きすぎるため。
【第4章 マルコーニ(無線)】
●なぜRCAができたのか?
アメリカ政府の規制によりアメリカ国内でのマルコーニ社製無線が排除された。例えば、米海運局が外国会社(米国人の株式所有が50%以下)の無線設備は受け入れないという規制を出した。米マルコーニ社の経営悪化を見た上でアメリカ政府(海軍)は米マルコーニの株式をGEが買い取るようにお膳立てした。GEと無線特許で法廷闘争していたAT&TもRCAに参加するように要請された。GEとAT&Tは無償クロスを結びGEは無線電信、AT&Tは無線電話と市場分割した。そこにウェスティングハウスが絡んできた。無線特許をわざわざ買い取ってRCAに参加させろと言ってきた。WHも電信会社だからかな。結局アメリカの無線特許はRCAに一極集中することに。そこうするうちにラジオのブームが来てRCAはロイヤルティで大儲け。そのカネでテレビを開発した。
【第5章 ショックレー(トランジスタ)】
ウィリアム・ショックレーがベル研を辞めて半導体研究所を設立したのはトランジスタ特許に対する発明報酬が1ドルだったから。そうだったっけ。まあ最初のトランジスタ発明にはショックレーは発明者として名前が入らず、もう一度別の発明を出したというあたりもなんだかなぁ。最初の発明者二人バーディーンとブラッデンは1ドルに文句はなかったそうだ。二人は学者肌と実験屋肌だったため。バーディーンは大学に戻りトランジスタとは別の業績(超伝導)でもノーベル物理学賞を取っているそうだ。ブラッデンはベル研に残った。
ノーベル物理学賞を二度も取った人って他にいるのかな(物理学では一人だけだそうだ)。
【第6章 キルビー(IC)】
フェアチャイルド後にインテルのロバート・ノイスとキルビーがインターフェアランスをして争った話が細かく書いてあり興味深い。図面には"フライング・ワイヤー"しか記載がなかったが弁護士が実施例中に「金などの材料を酸化物の上に置いて電気的な接続をはかる」との一文を入れてあったのでキルビー側はこれを根拠に争った。しかし「金は置くことはできても蒸着はできない」という専門家証言が効いてノイス側がインターフェアレンスに勝利した。しかしインターフェアレンスの決着前にTIとフェアチャイルドの経営者同士が交渉をもち「どちらが勝っても、互いの権利の有効性を認め(無償)クロスして、一緒に他社へライセンスしていく」と合意していた(1966)。それで二社は日本企業にあわせて料率8.5%を要求した、と。
【参照文献】
ノーバート・ウィーナー『発明』
大河内暁男『発明行為と技術構想』
名和小太郎『起業家エジソン』
T・R・リード『チップに組み込め!』
- 作者: 上山明博
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- 作者: 名和小太郎
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今週のお題「オススメのマンガ」真鍋昌平『闇金ウシジマくん』における近代的自我
- 作者: 真鍋昌平
- 出版社/メーカー: 小学館
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●オススメする理由
オススメする理由は現代の日本人全員にとっての実存的問題を扱っているから。誰が読んでも"心に痛い"感覚が得られるのではないか。
その実存的問題とは何かというと本ブログでいつも取りあげる近代的自我の問題。自分の言葉では<意味と強度>の問題。
自分がマンガを評価するときの視点の一つは、そのマンガが近代的自我を描いているかどうか。近代的自我が描けていないということは前近代的マンガなので自分にとっては面白みに欠ける。いつも通り例外もあるが。鳥山明『ドラゴンボール』とか。
真鍋昌平『闇金ウシジマくん』は闇金のボスであるウシジマくんが形式的な主人公だが、実質的には主人公に取り立てられる債務者たちが主役といえる。この債務者たちがそれぞれの近代的自我の問題を抱えていて(抱えているのが当たり前なのだが)、このマンガはその問題をメインに扱っている点が素晴らしい。
●近代的自我の問題
この近代的自我の問題は、現在も哲学上の問題でカナダの哲学者チャールズ・テイラーなどが論じている。よって答えなんて出ない難しい問題だが、簡単に言ってしまえば自己実現の問題ともいえる。
前近代においては<意味>は外から与えられていた。一般人は共同体(例えば、中世のカトリックの教会)が与える物語(キリストの物語)を<意味>として受け容れ生きていた。「世界は全部神さまがこうやって作ったんだよ。だからこれこれしなさい」。
近代においては人びとは自分の「内なる声」にしたがって目的を定め、それを達成するという自己実現という<意味>を目指すようになる。このイデオロギーが今の日本でも広く受け入れられていることは同意が得られるだろう。この考え方はリベラルデモクラシーという近代社会の基本と相性がいい。例えば、日本国憲法は法律の範囲内で各人が自由に自己の目的を追求して幸福になればいいと(暗に)言っている(憲13条)。
ただ、この「自己実現→幸福」というスキームは非常に困難な道のりだろう。単に自分の描いた<物語>が実現できないという問題もあるし、仮に実現できたとして究極的に<世界>には<意味>がないので、「それで?」「だから何?」「そんなことして意味あるの?」という問いに答えることはできないためだ。よって今では「自己実現(近代的自我)なんて幻想だ」という近代批判が一般的だろう。その批判の先駆けがフリードリヒ・ニーチェであり、現代思想はニーチェの影響が大きいだろう。文学においても人生の無意味さを扱ったカミュ『異邦人』などはニーチェっぽい。そして<意味と強度>という概念も宮台真司氏によればネタモトはニーチェだという。
そんな感じで思想的には評判の悪い自己実現だが現実においては支配的なイデオロギーだ。人は<世界>に<意味>を求めることを止められないということ。自覚してるかはともかく誰もが同じなんじゃないか。上にも出てきたチャールズ・テイラーは哲学・宗教・文学は人生の無意味さに抗する試みであると述べている(『今日の宗教の諸相』(2001))。
●『闇金ウシジマくん』における近代的自我の問題
『ドラゴンボール』のような前近代的なマンガと本作がどう違うか。本作が描くような近代では各人が自己実現(<意味>)を追求するので各人の<意味>を通して見た<世界>と実際に存在していると思われる世界が一致しないということだ。もちろん各人の世界は<幻想>に過ぎず、実際の世界はこの世のすべてという一つしかないわけだが。
『ドラゴンボール』の登場人物たちは同じ一つの<世界>を共有している。その意味で前近代の人びとが与えられた一つの<世界>を共有していたのと同じだ。一方、本作においては各人が自分の<幻想>の<世界>をもっている。だからコミュニケーションは成り立たないし、互いが互いに「あいつはクズだ。オレの方が上だ」と見下しあっている。そして各人が現実を自分の<幻想>に合わせようとして失敗し挫折する。そして世界に<意味>(幻想)なんて存在しないんだ、と気づいて自暴自棄になる。そしてたいていは悪の道に走り、もっと怖い人に殺されたりする。または麻薬中毒になったりする。
『ドラゴンボール』の世界では登場人物の間で互いに「あいつはオレより強い。でもあいつはオレより下だ」という認識が共有されている。「戦闘能力」という数字でハッキリ表される。考えてみると恐ろしい世界だ。ともかくこの強さという序列に誰も異議を唱えない世界というのは前近代的だ。そこには各人の<幻想>による価値観の多様性もないし、世界の無意味さによる絶望もない。
『闇金ウシジマくん』の主役である債務者たちは近代的自我の問題を抱え自己実現を目指して挫折たり、人生の無意味さに絶望したりしている。この姿は自分を含め現代の日本人全員とほぼ同じと言えるだろう。主役は数回ごとに切り替わるが、今までの主役で自分のお気に入りは原宿で読者モデルを目指す若者2人。カリスマ読者モデルらしき目標とする人物がいて「俺もああなってやる!」」と意気込むが現実はショボショボで<幻想>との乖離に苦しむ姿がうまく描かれていた(と思う)。しかもその目標であるカリスマも裏ではカネに困って犯罪に手を出し最後はヤクザに殺されてしまう。この現実のショボさがいい感じ。
他の主役たちはデリヘル嬢とかMR(医薬メーカの医師相手の営業)とかタクシー運転手とか。最近ではホストとか。このマンガは繰り返し同じ近代的自我の問題を扱っている。
たいていの主役は二人組で、ともに自己実現(例えば、カリスマ読者モデル、トップ風俗嬢、ホストの売り上げナンバーワン)を目指すライバルだがいっしょ挫折し、二人のうち一人が人生の無意味さに絶望し悪の道に走り、もう一人を巻き込もうとするが、もう一人はなんとか踏みとどまり、無意味な人生に戻っていく。けど心は晴れやか。みたいな微妙なハッピーエンドのパターンが多い。一方で悪の道に走りもっと怖い人に殺されたり、行方不明になったり、麻薬中毒になったりバッドエンドを迎える登場人物も多いが。
こんなんで紹介になっているか分からないが、とてもよい出来なので一読をオススメする。特に最初の数巻が素晴らしい。
【関連エントリ】
- 哲学・宗教・文学は人生の無意味さに抗する試みである
- 現代日本の生きづらさの根本的な原因は何か?
- なぜ憲法で13条がもっとも重要なのか?
- アルベール・カミュ著、窪田啓作訳『異邦人』
- ティム・バートン『ビッグフィッシュ』 ※自分で<意味>を作り出す(=物語る)というテーマを扱っている
- 作者: チャールズテイラー,Charles Taylor,伊藤邦武,佐々木崇,三宅岳史
- 出版社/メーカー: 岩波書店
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- 作者: カミュ,窪田啓作
- 出版社/メーカー: 新潮社
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郷原信郎『組織の思考が止まるとき』
2011年に出版された本を紹介するシリーズの50冊目。今回は今まで何度か言及してきた元検察官の郷原信郎氏(弁護士)の著書を。郷原氏の著書は検察批判ものとコンプライアンスものに大きく分かれるが本書は村井厚子氏の郵便不正事件を扱っており、検察のコンプライアンスものと言えそう。内容は過去の著書とかなり重複している。悪くはないけど。それもあってか形式面では記述が冗長な印象を受けた。
組織の思考が止まるとき ‐「法令遵守」から「ルールの創造」へ
- 作者: 郷原信郎
- 出版社/メーカー: 毎日新聞社
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郷原信郎『組織の思考が止まるとき』(2011)毎日新聞社 ★★★
『コンプライアンス革命』以来の郷原信郎氏。コンプライアンスもの。今回はその対象が検察(郵便不正事件)であり検察ものともいえる。郷原氏のコンプライアンスものは今まで『思考停止社会』、『「法令遵守」が日本を滅ぼす』、『コンプライアンス革命』と読んできたが、本書はほとんどの内容がこれらと重複している。副題が「『法令遵守』から『ルールの創造』へ」となっており<ルールを作る>に関心がある自分としては何か新しい話があるかと思ったら、新しい話は大したことのないものだった。
本書の主張は今までどおり<コンプライアンスは形式的な適法・違法ではなく法の趣旨(社会的要請)から実質的に考えるべき。問題が起きたときは起きた背景・構造から対策を検討すべき>というもの。結局、法と実態の乖離が起きているということは法が現実に合わなくなっているかそもそも法がおかしいということ。そのような法を思考停止し(=その趣旨を考えずに)ただ遵守すればいいというものではないということ。
●検察の郵便不正事件への対応はなぜダメか?
- 前田検事の証拠隠滅という個人の問題と扱ったため
- 検察自身による内部調査だから
1.について、本当の問題は個人ではなく検察という組織の問題。冤罪を生み出すような検察の捜査・起訴の手法が問題。証拠隠滅は捜査・起訴という目的のための手段に過ぎない。捜査・起訴の手法を問題にするなら証拠隠滅罪ではなく特別公務員職権濫用罪(刑194条)のはず。証拠隠滅罪の趣旨は被疑者・被告人の家族が・関係者がかくまう行為を罰することなので法定刑も軽い(2年以下)。よって本件には合わない。
牧師がかくまった事件が信教の自由で出てくる神戸牧会事件だ。なお、親族特例もある。
2.は当たり前。
●なぜ検察はこのような対応をとったか?
刑事手続における検察の独立性を維持するため。
1.では起訴自体を問題にすると起訴を承認した検察上層部の判断まで問題にされる。
2.では外部に検察内部の判断について調査されたくない。
一言でいえば検察の組織防衛。
●ではどうすればいいか?
- 法務省による検察の監視を強化する
- 取調べ可視化
1.について、むしろ現在は法務省と検察が一体化している。経産省と電力会社みたいにいくらでも例がありそう。あとは法務大臣の指揮権(検察庁法14条)や造船疑獄の話など。
【第3章 コンプライアンス】
●総論
日本とアメリカの比較。『コンプライアンス革命』と同じ話。
ただ法令を遵守すればいいのではなく社会的要請を考えろという話。
郷原氏の提案するコンプライアンスの解説。これも『コンプライアンス革命』と同じ。
●各論(1)官公庁
裏ガネ問題の背景は単年度予算主義。
これは『「法令遵守」が日本を滅ぼす』で読んだ。
公務員は法律に逆らえないので特に法律遵守だけではうまくいかないという話。その例として検察へ個人が情報開示請求をしてきた、それを形式的(法的)ではなく実質的に解決したという話。
社保庁年金改ざん事件の話。これは『思考停止社会』で読んだ。
●各論(2)医療
医療過誤問題について書いている。東京医科大の例が出てくる。本書には関係ないが山田風太郎氏の母校だ。
大学病院の医療過誤の背景として、大学病院では治療のほかに教育・研究が重視されるため、教授が病院の診療科長を兼務することが一般的。そして診療科は講座制の講座に対応しており、講座の長である教授に逆らえないことが挙げられている。なるほど。
●各論(4)証券市場
いつものライブドア事件と村上ファンド事件。村上ファンド事件について包括的な罰則規定(旧証券取引法157条1項)を適用しなかった理由が『「法令遵守」が日本を滅ぼす』のときと違って罪刑法定主義になっている。これは変ではないか。だって条文があるんだから。まああまり気にしないけど。
【第4章 マスコミ対応】
問題が起きた場合のマスコミ対応について書いている。いつものサッカーのフォーメーションの話。
また不二家事件が出てくる。今回は不二家のマスコミ対応のマズさについて。どうマズいかというと次のような話。
消費期限切れ牛乳についてマスコミにもれたのは経営改革のために調査に入っていた社外コンサルタントの報告書が新聞社にFAXされたのがきっかけ。この報告書に「雪印の二の舞」など不二家が隠蔽しているような印象を与える文章があった。それを不二家が説明すればいいのにコンサルタント会社との報告書を第三者に開示しないという契約があるというのでマスコミに説明しなかった。
思考停止の契約遵守というところか。
不二家問題の本質は消費期限切れの牛乳自体ではない。そのような牛乳を「いつから使っていたのか」そして「今までどれだけ使ったか」という記録を残しておらず説明できなかったこと。
結局は情報開示の問題。
【終章 ルールを創る】
ルールと実態が乖離している場合はルールを創る(改める)ことを提案している。まあ当たり前。社内ルールであれば創れるが法律は無理なので、そういうときは「〜の場合は弊社は・・・という対応を取ります」と予め明示し社会の理解を得るべきとする。やっぱり情報開示。
情報開示ができていない業界として電力業界を挙げている。
日本の原発は、概して情報開示に消極的で、閉ざされた運営がしばしば社会からの批判を浴びてきた。[・・・]開示した情報が誤解を受けることを恐れ、最低限の情報しか開示しないというのが、かつての電力会社の姿勢だった。(p.257)
かつて?福島原発の例を見ても「情報が誤解される」ことを恐れるのは合理的だ。ただいつまでも情報開示をしないと結局情報を理解するリテラシーも育たないのでどこかで切り替えていく必要があるんじゃないか。
ここで終ればいいのに「郵便不正事件も経験知で防げた」といい始め、自分の体験談がいまさら始まる。本書はこういう冗長さが目立つ。
- 作者: 郷原信郎
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- 作者: 郷原信郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2007/01/16
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コンプライアンス革命―コンプライアンス=法令遵守が招いた企業の危機
- 作者: 郷原信郎
- 出版社/メーカー: 文芸社
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- 作者: 佐藤優責任,魚住昭責任
- 出版社/メーカー: マガジンハウス
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出版社に原版権を・・・業界、法整備目指す:新たな著作隣接権を与えるとどうなるか?
読売新聞より。
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20120329-OYT1T00724.htm
出版社に原版権を…業界、法整備目指す
電子書籍時代に対応した著作権や出版権のあり方を検討するため、大手出版社、作家、超党派の国会議員で作る「印刷文化・電子文化の基盤整備に関する勉強会」(座長=中川正春防災相)が、「出版物原版権」という新たな権利の創設を目指すことで合意した。
電子書籍の違法コピーに対し、出版社は訴訟を起こすことができないなどの不備を改め、普及を促すことが目的だ。
電子書籍は一瞬で大量にコピーすることができるため、いわゆる「海賊版」が横行しやすい。しかし、著作権法が認める出版社の出版権は電子書籍を想定しておらず、違法コピーが出回っても著作権者である作家が自ら訴訟を起こすしかないのが現状だ。
新たに創設を目指す「出版物原版権」は、作家の著作権を100%保護したうえで、紙の本や電子書籍という形に加工した「原版」に対する権利を、追加的に出版社に与えるという枠組みをとる。具体的な中身は、原版を〈1〉複製する複製権〈2〉インターネット上に展開する送信可能化権〈3〉複製物の譲渡によって公衆に提供する譲渡権〈4〉貸与によって公衆に提供する貸与権――などからなる。こうした権利を出版社に与えることで、出版物原版権のない業者がインターネット上に海賊版を出せば、出版社が削除を求める訴訟を起こすことが可能となる。
(2012年3月30日07時38分 読売新聞)
新しい記事が出たので「なぜ出版社は「著作隣接権」が欲しいのか?」というエントリーのフォローを。著作権者(利益団体)と政治家が「『出版物原版権』という新たな権利の創設を目指すことで合意した」という記事。この「出版物原版権」が以前のエントリで書いた著作隣接権に当たると思われる。本記事は新たな権利の内容に言及しているので抜き出してみると・・・
この内容はまさに著作隣接権のような内容。このような権利の内容を前提とすれば、以前のエントリで触れた著作権法90条に基づきマンガ家の赤松健氏と小学館の前田一聖氏の論争に答えが出る。
- 電子化するとき、一つ一つの作品ごとに契約を結ばなくてもよくなるので、スピーディに電子化できるか?
- 昔のマンガを、他の出版社で再刊行したいとき、前の出版社に妨害されないか?
1.についてはYES。2.についてはNOとなるだろう。
このような新たな権利を出版社に与えるとどうなるか。著作権法90条により著作者(作家・マンガ家など)と出版社はともに独立して権利行使可能となる。よって第三者(再刊行しようとする他の出版社)は著作者と出版社の両方の承諾を取らないとその著作物(電子書籍)を利用できなくなり、権利処理が複雑になるだろう。アンチコモンズの悲劇と呼ばれる問題だ。
記事では新しい権利を与える理由として「電子書籍の違法コピーに対し、出版社は訴訟を起こすことができない」などと書いてあるが、これは誤りだろう。出版社が契約により著作物の複製権を持っているのが普通だからだ。他の送信可能化権、譲渡権、貸与権についても同様だろう。つまりわざわざ小説やマンガの著作権とその電子書籍の著作隣接権を別に設ける必要はないし、却って問題があると考える。なお、記事を読むと電子書籍だけではなく紙媒体についても権利を及ぼそうとしているのでこの意味でも誤り。
そもそもなぜ著作隣接権が認められるかといえば、実演家(例えば、歌手)のように原著作者(例えば、作曲者)の著作物に創作性を付け加えていると考えられるためだ。
では電子書籍における出版社の創作性がどの程度あるか。実演家より小さいことは確かだろう。レコード製作者と比べても大きいかあやしい。例えば、小説の電子書籍化において1行当たりの文字数とか1ページあたりの行数を変更することにどれほどの創作性の付加があるか疑問だ。
ということで全体的にみて、このような権利(原版権)を出版社に与えるべきではない。
PS4のアンチ中古ゲームソフトシステム:著作権法による制限と技術による制限
2chまとめサイトより。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1704431.html
PlayStation4の名称は「Orbis」…AMDx64CPU、PS3互換なし、2013年発売か
PS4 is called Orbis, launching late 2013 - report
信憑性の高い米国ゲーム情報サイトkotakuによると、PlayStation4の名称(またはコードネームか)はOrbis(オービス/オルビス)で、2013年のホリデーシーズンに発売される。CPUはAMDx64、GPUは4096×2160の描写が可能で、1080iで3Dもプレイ可能なAMD Southern Islandsであることが分かった。
PS3との互換性は無い模様で、アンチ中古ゲームソフトシステムが搭載されるとしている。
中古ゲームソフト購入者は、追加料金を払わなければ、ゲームをフルに楽しめなくなるようになるということだ。これについてはXboxの次世代機でも搭載されるという噂も以前からされている。
開発者向けのPS4開発キットは今年からすでに配布されているという報道もあり、今年終わりは正式版が配布される。また今回の内容は、経済誌フォーブスが2月に報じた、PS4はAMDを使うというものと合致している。同じ2月にSCEアメリカのCEOジャック・トレットンは近いうちのPS4の発売は否定している。
PS4が来年発売かという記事。私はこういうゲームはやらないので詳しくないが、今回はこのPS4に搭載されるという「アンチ中古ゲームソフトシステム」と著作権法について。「アンチ中古ゲームソフトシステム」の中身はよく分からないが「購入したゲームはひとつのPSNアカウントのみでの利用に固定される」とのことなのでネットでゲームのデータとユーザを紐付けるということだろう。これで中古ソフト、つまりゲームソフトの転売を排除する、と。
1.中古ゲームソフト事件
中古ゲームソフトと著作権法といえばその名の通り中古ゲームソフト事件という最高裁の判例がある(最判H14.4.25)。この事件はゲームソフトの転売を排除しようとしたゲームの著作権者が次のように主張した事件。
- ゲームは映画の著作物である
- 映画の著作物には頒布権(著26条)が認められる
- 頒布権は譲渡権(著26条の2)、貸与権(著26条の3)と違って消尽しない
- よってゲームソフトの転売は頒布権侵害である
「頒布」というのは売る又はレンタルするということなので「譲渡」又は「貸与」ということとほぼ同じ。「消尽」というのはいったん適法に(著作権侵害せずに)著作物を手に入れたら、その著作物を転売しても何しても侵害にはならないという考え方(消尽論、消尽理論)。これをその著作権は「消尽した」と言う。逆に消尽しなければ、転売は著作権侵害になる。なのでゲームの著作権者はゲームの著作権は消尽しないので中古ゲームソフト販売は著作権侵害だと主張したわけだ。
これに対し最高裁は1.は認め、ゲームは映画の著作物であるとした。2.は著作権法に書いてある通りなので問題なし。そして3.について映画の著作物すべてが消尽しないというわけではない。ゲームソフトは映画の著作物だが消尽するとした。よって4.についてゲームソフトの転売は侵害ではないと結論した。だから今でも中古ゲーム市場があるわけだが。
ということでゲーム会社は悔しいけど中古ゲームビジネスを認めるしかなかった。
2.ローレンス・レッシグの議論
PS4の「アンチ中古ゲームソフトシステム」は中古ゲーム市場潰しを法律ではなく技術でやるというもの。
「著作権法がどんどん厳しくなって自由がなくなっていく」という議論はよく目にするが、法律を使わずに技術で自由を制限する方がよっぽど強力な手段であるとも言える。特にソフトウェア・ネットワークでは。このように「企業は法律を技術でバイパス(迂回)するようになるぞ」と警鐘を鳴らしていたのがローレンス・レッシグ(ハーバード大)。レッシグは憲法学者だが知財法でも著名。クリエイティブ・コモンズの創始者の一人でもある。
「アンチ中古ゲームソフトシステム」は新しいものでもないだろうし、似たようなことは過去行われていたかもしれない。だが問題はこれからもこのような技術による制限が広まっていくと予想されることだ。例えば、ソフトウェアのサービス化、クラウド化などはその現われだろう。他の例として、法律による制限と技術による制限の境界領域であるDRM(Digital Rights Management)。
【追記】
ITMediaにも同じ記事が。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1203/29/news062.html
何らかの中古ソフト対策が組み込まれ、PlayStation Networkアカウントとゲームディスクをひも付けたり[・・・]
やっぱりそこは「ひも付け」ですよね。
【参考】
(頒布権)
第二十六条 著作者は、その映画の著作物をその複製物により頒布する権利を専有する。
2 著作者は、映画の著作物において複製されているその著作物を当該映画の著作物の複製物により頒布する権利を専有する。
(譲渡権)
第二十六条の二 著作者は、その著作物(映画の著作物を除く。以下この条において同じ。)をその原作品又は複製物(映画の著作物において複製されている著作物にあつては、当該映画の著作物の複製物を除く。以下この条において同じ。)の譲渡により公衆に提供する権利を専有する。
(貸与権)
第二十六条の三 著作者は、その著作物(映画の著作物を除く。)をその複製物(映画の著作物において複製されている著作物にあつては、当該映画の著作物の複製物を除く。)の貸与により公衆に提供する権利を専有する。