虚構新聞騒動:ルールの普遍化の挫折

虚構新聞の記事に釣られた人たちが怒っている件が話題になっている。この騒動は内輪な人たちのローカルルールが広がりすぎて通用しなくなったために起こったと言えると思う。
この件は、ローカルで生まれたルールが広まって行き、そして挫折する一例として興味深いので今回はこれについて。

1.ルールとは何か

ルールというのは人びとの合意(予期・期待)であって、人びとがルールに沿って行動することで新たなルールが生まれる。このルールは明示されていなくてもいいし、法律のような公的なものでなくてもいい。虚構新聞を冗談として楽しむというローカルルールがルールの原始的なものだろう。別の例としては2ちゃんねるのスレごとのローカルルールとか。このブログでは以前、違法動画アップロードコミュニティのローカルルールを取り上げた。


ルールは制度とも言い換えられる。ルールは文字通りゲームのルールでありゲーム理論にとっても重要な概念で、ゲーム理論を使って社会のルール(制度)の生成や変化を分析しようとするのが、経済学や政治学の新制度論と呼ばれる分野。この立場からは経済活動や政治活動をアクターがルールに基づいてプレイするゲームの過程・結果ととらえる。
つまりゲーム=社会ととらえるのでゲームのルールが非常に重要になってくる。あたりまえのことのようだがこの点を科学的に取り入れた点がゲーム理論や新制度論のスゴいところだと思う。例えば、企業が競争というゲームに勝つにはゲームのルールを作る/作り変えるのが最も強い。このようなルール作り競争の例がITの分野でのプラットフォーム競争といえるだろう。例えば、OSとかブラウザとか。

2.ルールの普遍化

といっても作ったルールを人びとに合意してもらわなければならない。IT企業の例で言えば、作ったプラットフォームに乗ってきてもらわなければならない。そこでどうやってルールを普遍化していくかということが問題になる。
結論をいうと、虚構新聞の騒動はルールの普遍化に挫折したよくある例といえると考える。そしてこのルールの普遍化が日本の不得意なところで、大雑把にはルールの普遍化ができない≒近代化できていない≒日本のダメさだといえるだろう。
虚構新聞がローカルでしか通用しないルールではなく、釣られて怒ってるようなリテラシーの低い(?)人たちにも通用するようなルールを作ってそのルールに合意してもらえれば、虚構新聞にとって更なる発展のキッカケになると思うのだが、なかなか難しいかもしれない。自分に思いつくのはタイトルに「虚構新聞」と入れることぐらいだ。ただ、これだけでは2ちゃんのまとめサイトなどと同じで、まとめサイトで釣られる人が大勢いる以上、効果は薄そうだから。<日本がダメなのは近代化できていないから>というのはこのブログでしつこく繰り返している主張だ。そして近代化というのはヨーロッパで生まれたローカルルールが世界中に広がったことと言い換えられる。ルールの例としては科学とか法(例えば人権)とか民主主義とか資本主義とか。
ヨーロッパがすごかったのはこのような普遍性をもつルールを作れたことだ。なぜヨーロッパは普遍性をもつルールを作れたのか、なぜ日本は作れないのか(作れた例はあるのか)、現在アメリカが"グローバル化"という名前の普遍化をやろうとしているが、反対するのか賛成するのか。このあたりが非常に重要な問いだと考える。虚構新聞の騒動はこのルールの普遍化という重要問題の身近な例。