スカイマークサービス簡略化へ:予期と制度

2ちゃんまとめサイトより。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1715121.html
元記事はスポニチ
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/05/31/kiji/K20120531003366440.html

スカイマーク「機内での苦情受け付けない」「丁寧な言葉遣い義務付けなし」…サービス簡略化へ


「機内での苦情は一切受け付けません」「客室乗務員に丁寧な言葉遣いを義務付けておりません」―。航空会社のスカイマークが搭乗客に対して、サービスの簡略化などへの理解を求める内容の文書を、5月中旬から機内に備え付け始めた。


1998年に運航を始めたスカイマークは、低価格を武器に事業を展開。最近参入が相次ぐ格安航空会社(LCC)に対抗するため、経費削減を進めているとされる。コストカットによるサービス簡素化に伴い増加も予想される顧客の苦情に、先手を打つような同社の措置は論議を呼びそうだ。


スカイマークは、機内の座席ポケットに備え付けた「サービスコンセプト」と題した文書で「従来の航空会社とは異なるスタイルで機内のサービスをしている」と主張。荷物の収納を「乗務員は援助しない」ことや、乗務員の私語を事実上容認し、服装やヘアスタイルについても、会社支給のポロシャツなどを着用する以外は「自由」とするなど、“大胆”な方針を盛り込んだ。また機内では受け付けないと表明した苦情については、同社のお客さま相談センターか「消費生活センター」に寄せるように呼び掛けている。

スカイマークは「利用客らからいろいろな問い合わせを受けたため、当社のコンセプトをあらためて明文化した」と説明。他の航空会社からは「航空業界の評価を下げかねない」と懸念する声が漏れている。

近代社会を考える上で重要な制度という概念について書いた前回のエントリで予期にも言及した。今回はスカイマークのサービス簡素化を例に予期と制度の関係について書いてみたい。前半は一般的な予期と制度について、後半は前半の内容に基づいてスカイマークの例を取り上げる。

1.予期と制度

まず近代社会において予期と制度というのは切っても切れない関係にあるということの確認。自分の採用しているゲーム理論を用いる社会科学の立場では<制度というのはルールであって、ルールに基づいてプレイされるゲームが社会である>と社会をとらえるわけだが、この社会観が成り立つには<自分もルールに従うし、相手もルールに従ってくれる>という予期がある場合(だけ)だ。


分かりやすい例は自動車の運転だろう。「対向車が信号に従ってくれるはず」という予期がなければ危なっかしくて交差点なんて近寄れない。京都の事故などでてんかん患者による運転免許付与が問題になったが、これは「みんなちゃんと運転してくれるはず」という脆い予期が成り立たないと運転免許制度が成り立たないことを示すものだ。なお、自動車の運転自体は道路交通法などのルール(制度)にのっとってドライバーというゲームのプレイヤーが行うゲームと捉えることができる。
ここで重要な点は「対向車は信号に従ってくれるはず」という予期を互いに行なっている点だ。このように互いに相手の行動を予期するような状況を戦略的状況と呼び、ゲーム理論はおおざっぱには戦略的状況を分析する理論と定義できる。社会はこのような戦略的状況で成り立っているのでゲーム理論がいろいろな分野に応用できるといえる。また社会は戦略的状況の積み重ねなので、相互依存的であり原因と結果が無数に絡み合っていると理解することができる。


この社会観は基本的で有用だと思われる。社会の戦略的状況、相互依存性をうまく理解していないがために起こる失敗は散見されるので。例えば、本ブログではゼンショーの防犯体制について言及したことがある。


予期の他の例としてお金(貨幣)を挙げられる。貨幣というのはもちろん制度だ。おおざっぱには「1000円札は1000円という価値をもつ」というルールが貨幣制度だ。制度論ではなく存在論的に「貨幣とは何ぞや?」という問いを考える経済学の一分野があるが、ひとつの有力な答えは「相手が貨幣を貨幣として受け取ってくれるから」というものだ。これは相手に対する予期であり、貨幣を受け取る相手方もまた「第三者が貨幣として受け取ってくれる」という予期をもっていて、相互的な予期が貨幣を支えているといえる。この人びとの予期が崩れたのがハイパーインフレ後の物々交換社会で、資本主義社会の擦り切れた状態といえる。


もうひとつ面白い例は宮台真司氏(首都大)のよく挙げる都市伝説だ。例えば18世紀ロンドンのスウィーニー・トッドの話とか。これはトッドという床屋が店を訪れた客のノドをカミソリで切り裂き、死体を落とし穴に落とすと穴が隣の肉屋につながっていて、肉屋が人肉ミートパイにして売るという都市伝説。このような都市伝説は都市という見ず知らずの他人を信頼しないと生活が成り立たない空間で発生する。それは予期が社会を支えていることを示すんだというのが宮台氏の論。日本で昔あったマクドナルドがミミズ肉を使っているという都市伝説もマクドナルドというよく知らない相手を信頼しないとハンバーガーが食べられないという近代社会のありようを表している。他にも9.11テロや福島の原発事故などリスク社会と呼ばれる近代社会の問題を予期の崩壊という観点から論じることもできるが、それはまた別の機会に。


一方、近代社会とは異なり、人びとが共同体の外に出ず一生を過ごす前近代的ムラ社会では、互いに顔見知りなのでよく知らない相手への信頼は不要だ。その意味で気も楽というメリットがあるが、よく知らない相手との協力(商売とか)などができず社会の発展も望めないというデメリットもある。そう考えると、社会は信頼の範囲が拡大するのにともない発展したともいえるだろう。

この知らない人への信頼と協力という状況を極端に拡大したのがネット社会といえるだろう。知らない人とネット上でどうやってルールを合意するか(予期を一致させるか)は私のみる限り頻繁に問題になっている。その一例が前回の虚構新聞騒動。また例えばインターネットオークションを考えれば容易に分かるだろう。何も知らない売り手・買い手を互いにどう信頼するか。


以上のような本ブログと同様の立場から「日本社会は未だに前近代的だが、今後ますます信頼が重要になる」という指摘をしているのが社会心理学者の山岸俊男氏(北大)だ(『安心社会から信頼社会へ』(1999))。このあたりは本ブログのいつもの近代化問題。


2.消費者と生産者の予期の不整合

1.で述べたのは近代社会は予期の上に成り立つ制度の上で人びとが行動する過程・結果であるということだ。ここで予期は相互的なものである必要があった。
このような観点から見るとスカイマークのサービス簡素化は人びとの予期に整合性を与えるという点で好意的に評価できる。言ってしまえば「安かろう悪かろう」だ。
予期の整合性がない、この場合、消費者の商品・サービスに対する予期と生産者・事業者の商品・サービスに対する予期の不整合は問題だというのは広く同意が得られるのではないか。


例えば法学的に考えると、商品に対する予期の不整合があれば、民法の前提にする契約も成り立たないだろう。だから予期の不整合に対して錯誤無効や消費者法による取消といった手当が用意されている。
また経済学的に考えると、ミクロ経済学の前提にする需要と供給の均衡が成り立たない気がする。ミクロ経済学の市場では「○○だけ効用が得られるなら、その商品に対して□□円までなら払おう」という消費者が想定されているからだ。だから古典的な市場(効率的な競争均衡=厚生経済学の第一基本定理)が成り立たない場合を分析する情報の経済学が発展してきている。なお、情報の経済学はゲーム理論ミクロ経済学に応用するものとも言えるので話はちゃんとつながっている。


さて、最近起きた関越自動車道での格安深夜高速バスの事故とか以前から時折話題になるクレーマーの問題とか最近話題になったコンプガチャの問題などもこの予期の不整合という問題といえるだろう。どの問題でも同じだと思うが、消費者に対して「あなたは○○という効用が得られると予想して納得の上で□□円を払ったんですよね?」というように言って、事業者の責任を制限しなければ、市場はまともに機能しないのではないか。
この「予想して納得したんでしょ」と言えるかどうかが分かれ目であるように思う。言い換えれば「消費者と事業者が同じルールでゲームをプレイすることに同意したでしょ」と言えるということだ。
その意味では今回のスカイマークによるポリシーの宣言は、あなたは荷物の収納を「乗務員が援助しない」など「従来の航空会社とは異なるスタイルで機内のサービスをしている」スカイマークの飛行機だということを知った上で納得して利用しているんですよね?と言えるようにする方策であり、好意的に評価できる。


なお、言うまでもなく消費者と事業者(スカイマーク)の予期(合意)の内容が重要だ。スカイマークが宣言しているのは「従来の航空会社とは異なる機内サービス」であって「従来の航空会社とは異なる安全基準」であれば、命にかかわることなので納得する人は少ないだろう。このあたりでルールを消費者と事業者に任せる(契約)か政府が介入する(規制)かが別れてくる。この切り分けを合理的に行うことが大きな政府vs小さな政府問題への地道でつまらない解決策のように思う。このあたりから格安高速バスの規制をどうすべきか、コンプガチャへの景表法の適用をどうすべきかを考えていくことができるだろう。

安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方 (中公新書)

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