ジョンレノンってたかが4,5人のグループで仲違いしてたくせに戦争反対とかよく言えるな:リベラリズムの理解度テストになる

ジョンレノンってたかが4,5人のグループで仲違いしてたくせに戦争反対とかよく言えるな
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4259867.html

2ちゃんまとめサイトより。はてなブックマーク経由で知った。
タイトルを見て、「面白い発想。でも間違ってる」と思った。


どう間違っているかはスレ内でも早々に指摘されていた。

7: 名無し募集中。。。:2012/08/02(木) 00:09:39.20 ID:0
仲違いはいいけど暴力はダメってことでわ


ブックマークのコメントでもちゃんと指摘されていた。しかも人気コメントになっている。こういうのを見るとはてなはまともな方だと思う。

kamiyakenkyujo
戦争反対とは仲良しになることではない。アサドと反政府勢力が互いにそっぽむいて口もきかないレベルの「争い」で収まるなら紛れもなく和平。このスレタイ的な感覚が広まるのは平和運動にとって問題とさえ思う。

okra2
あいつは気に食わない->だから攻撃してでも排除する。が日本人の解釈。気に食わないけど不利益の無い関係が維持できるならお互い共存できるよねって発想が無い


このスレタイにどう反応するかで近代社会の基本であるリベラリズムが分かっているかどうかが判別できるので興味深い。


このブログに何度も書いているがリベラリズム宗教戦争(三十年戦争)の経験から「人びとがたとえ仲良しになれなくても共生できるようにしないとマズイぞ」という思いで生まれてきたものだ。そのために「共生に必要最低限のルールさえ守れば、信仰なんかはそれぞれ好きにすればいい」ってなって、今の憲法の信教の自由につながる。その必要最低限のルールが侵害原理として憲法をはじめとして刑法など基本的な法に流れ込んでいる。侵害原理とはある人が他者に危害を加えない限り国家はその人の行動に干渉すべきでないというルール。


こういうリベラリズムを奉じる憲法が現在の多くの国の憲法であって、憲法はその社会の最も基本的なルールなので、リベラリズムが現在の多くの国の最も基本的な思想になっている。


リベラリズムが分かっているかどうかは、自由にしていい領域と自由にすると共生できなくなるからダメな領域との区別がついているかだろう。本来はその区別を法が示していたはずだが、現在は法が複雑化・肥大化し、昔のように単純に侵害原理とは一致していない。よく出る例は「わいせつ物頒布罪とか誰にも迷惑かけてないだろ。好きにさせろ」というもの。確かに侵害原理を侵しているか微妙な例は多いと思う。


さらに法と道徳の区別ができていないという問題もあるだろう。例えば「みんなで仲良くしましょう」は道徳であり「イジメはやめましょう」は法の問題だ。話題になった大津のイジメ問題を見ても明らかに侵害原理に反している(犯罪行為が行われている)。この「みんな仲良く」と「イジメはダメ」の区別が非常に重要だということが小学校でほとんど教えられていないのではなだろうか。法律の話は小学校教育ではほとんど出てこない気がするが、リベラリズムは日本人全員が暮らす社会の基本なので小学生だろうと、社会のメンバーにはまず教えるべき事柄だと思う。


なお、スレタイの「戦争反対」については「戦争は犯罪か?」(正義にかなう戦争はあるか?)という難しい問題もあるので「戦争反対」じゃなくて「暴力反対」とかにすれば、リベラリズムの理解をためすテストとしてより単純になる。


侵害原理とリベラリズムについてはミルの『自由論』(1859)が参考になる。過去エントリの読書メモ

自由論 (光文社古典新訳文庫)

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