福島の原発労働者には2種類いる:地元出身者グループのムラ社会と孤立した都市のプレカリアート

はてなブックマーク経由で知った。

原発収束作業の現場から ある運動家の報告
http://fukushima20110311.blog.fc2.com/blog-entry-54.html


ルポライター福島原発で作業に従事している労働運動の活動家(大西氏)にインタビューした記事。

現場の生々しい情報が豊富。インタビューなので、もちろん一個人の主観に基づくものだが、考える材料としては必読だろう。

私としてはいつもの近代の問題を考えてしまった。日本がダメな原因が原発作業の現場にもよく表れていると感じた。今回はどう表れているかを論述してみたい。本ブログでは何度も繰り返しているが、まず近代の問題を説明するところから。

1.日本の近代の問題とは何か?

日本は前近代社会(ムラ社会)から近代社会(自由主義・民主主義・資本主義)になり損ねたという問題。
製造業への産業構造転換、農村から都市への労働力の供給、冷戦構造などが重なって日本は運よく高度成長を達成したが、高度成長の終了後(後期近代、脱工業化時代、ポスト産業化時代)は"近代社会なり損ね問題"が露呈してきた。この原発労働者の現場にもその問題が表れている。どう表れているかを以下で論述してみたい。

2.二種類の原発労働者

このインタビューによれば原発作業員には2種類いるという。第1のグループは原発の立地周辺の地元出身者グループ。第2のグループは都会で集められてくる若者グループ


第1グループの地元出身者たちは原発作業員だけでなく東電社員にもなっているという。同じ高校の同級生でクラスの秀才が東電に入り福島原発で現場社員をやっており、クラスの落ちこぼれが作業員をやっている、みたいに。互いに知り合いでムラ社会のような共同体を形成しているという。

―― 先ほども少し出ましたが、収束作業に携わっている人たちはどういう人ですか?

大西: 原発労働者の出身は、ほとんどが原発立地周辺の市町村です。いまも収束作業をやっているのは、泊、福島、柏崎、福井、浜岡などの人たちです。
 僕の今の実感としては、8〜9割ぐらいかなと思うくらい。

大西: 現場にいて感じるのは、現場の労働者が、どの会社にいようと、東電であろうと、みんな顔見知りなのです。
 小学校が一緒、中学校や高校が一緒、町が一緒という形で、みんなそこに住んでいる住民。だから、「あいつ同級生、あいつ後輩」という感じです。
 東電についても同じです。地元採用枠というのがあって、一生、本社に出ることはなく、出世とは一切関係なく、地元の原発を動かしながら一生を終えるために採用される人です。
[・・・]
 だから、現場では、同じ東電でも、地元採用の東電社員にたいする視線と、東京にいて指令を下すだけの東電社員にたいする視線は違います。

大西: [・・・]
 東電から元請けに発注し、その元請の労働者クラスが、自分の同級生だったりするというムラ社会です。そのようなムラ社会の中に、労働運動をもちこむことの難しさがあります。

なぜ難しいのか。労働運動が基礎とする労働法はもちろん近代法なので、ムラ社会の掟とは相容れないということ。


第2グループの都会の若者は近年プレカリアートと呼ばれるような人たちだ。彼らは原子化した個人で互いのつながりはない。地元出身者グループのような情報網もない、全国の原発を回って作業経験を積んでいるわけでもない。よって「実際の原発収束作業とは何か?」「どんなリスクがあるのか?」などといった情報をもたず何も分からないまま福島に派遣され、雑巾がけなどのもっとも下っ端な作業を行っているという。

―― アトックス[大西氏が批判する人材派遣会社]に雇われている人たちは都市の若年層ですか?

大西: そうですね。一番若いです。ほぼ全員二十歳代
 現代の縮図みたいです。
 地元の人はほとんどいない。
 現場でも、アトックスの人だけ孤立してますね。かわいそうですよ。
 しかも、他の下請けに行ったら、しばらくいればある程度の技術なりが身につくでしょうけど、アトックスにいたら技術も身につかないですから。何年やってもふき掃除、何年やってもごみ片付けです。

―― 原発立地周辺の人以外だとどういう人たちですか?
[・・・]
「危険だ。危険だ」と言われながら、その危険がどういうものかという知識を持っていない人、知らせられていない人たちです。
 3・11以降、1F〔福島第一原発〕を中心に、そういう新しい層が、危険も知らないで、飛び込んで来ています。
 1Fの収束・廃炉の作業には、これから、数十万人、百万人単位の人が必要になります。そのとき、確実に言えるのは、新たな原発労働者の層は、プレカリアートといわれている人びと、貧困に陥った若年労働者になるでしょう。

いやぁ、大西氏の左翼的な立場を割り引いても、この国の未来の無さを感じずにはいられない。

3.二種類の原発労働者が表す近代の問題

この二つのグループは前近代(地元出身者)と近代になり損ねた現在(若者労働者)の日本をよく表している。
地元出身者たちはムラ社会を作り、対内的には相互監視・制裁といった抑圧的な共同体になっている。このインタビューでも、原発労働者に労働契約などなく人間関係で仕事をしており報酬の中抜きが横行し、中抜きする側とされる側で"刺したり刺されたり"の暴力沙汰が日常茶飯事だという発言がある。これはまさに前近代的な問題の表れ方だ。同時にムラ社会対外的、つまり対東電や対元請け(日立・東芝三菱重工など)では利益集団として原発作業員の利益を主張してくれるという心強い味方でもある。


一方、都市で集められてくる若者たちはそのような利益集団を作っていない。各人が孤立している。彼らは対人材派遣会社(業務請負会社)で圧倒的な情報格差(情報の非対称性)の下に置かれ、その格差につけこまれ、何も知らずに原発労働者になっているという。
なぜこんなことになってしまうのか。それは労働法などが<自分の頭でものを考えられる>近代的個人を前提に作られているのに対し、実際の労働者は全然違うからだろう。つまり近代になり損ねた日本ではタテマエの近代(雇用契約)とホンネの前近代(労働者)が乖離している。その乖離を利用して人材派遣会社は鞘取りしてカネを稼いでいる。こんなニセ近代(若者グループ)なら前近代(地元出身者)の方がまだマシとすら思える。
近代法の一つである労働法はこのような使用者と労働者の構造的格差を是正するための法だが、労働契約すらない福島原発の現状では無意味だろう。
まずはホンネの前近代をいかに当たり前の近代に近づけるかが必要だと思う。例えば、当たり前の労働法が当たり前に適用されることだ。この当たり前ができないのに前近代を捨ててしまったのが根本的な問題ではないか。かといって前近代に戻れるわけもなく近代にならざるを得ない。

4.脱原発運動批判

このインタビューには都会で脱原発を主張している人たちへの批判という面もあるので触れておきたい。

大西: 収束とか廃炉とかの作業を、原発労働者がやっているという感覚を[脱原発]運動の側が持っていない、身近なものとして感じていないという気がします。
 「廃炉にしろ」と、東京の運動が盛り上がっているんですけど、語弊を恐れずいえば、特定の原発労働者、8万人弱の原発労働者に、「死ね、死ね」って言っているのと同じなんですよね
[・・・]
1つは、原発労働に従事するからには、被ばくするわけだから、「健康の問題について、一生、見ます。もし何かあったときは補償もします。賃金も高遇します」という風にするべきです。もちろん中抜きはありませんよ。準国家公務員みたいな形で雇ってね

脱原発運動は原発作業員に「死ね」っていうのと同じだなどと言っているが自分にはよく分からない
脱原発の人たち(例えば、自分がいいと思う賠償スキームの提案をしている八田達夫氏やそれに近い寺島実郎氏)は普通は「東電を国有化しろ。賠償後、原発以外は民間に戻して、原発は国に残して廃炉作業を続けろ」と言うので、この大西氏の主張と矛盾しないと思うのだが。なぜそれが「死ね」になるのか。この発言のように大西氏におかしな発言はいくつもある。たいてい左翼的な偏向が生んだ発言のように思えるが。


ところで、政府の仕事とは何か。以前のエントリでもふれたように基本は公共財の提供だ。原発事故の収束は当然公共財なのでこれを提供するのは東電のような民間企業より政府の方が適している。廃炉作業自体はもはやまったく経済合理的な事業ではないのだから。自分は廃炉作業を国が行うという前提での東電国有化だと思っていたが。


ちなみに大西氏の上の発言の続きは以下の通り。原発労働者の徴兵制とかいう全体主義的な話になっている。

もしくは、2つ目は、徴兵制みたいに、「何月何日生まれの何歳以上の人は、ここで1週間、被ばく作業をして下さい」みたいに強制的にやるか。
後者は、すごくいやなんですけど、でも僕が、実際に原発労働をして思ったのは、これは、反原発運動をやっている人は、全員やったほうがいいんじゃないかなということです。

右翼だけでなく左翼も全体主義だよね、という例。全体主義なら市場の方がマシ。これは資本主義対社会主義の実験で世界中が得た知見だろう。人びとを強制するのに権力を使うより市場の力で人びとを動かし、結果として生じた格差を是正する方向に権力を使う方がいい。大西氏のように現場に近すぎると考え方が極端に振れてしまうのだろうか。