Facebook、IBMから特許750件を買収:「Yahooはパテントトロール」は誤り

techcrunchより。
http://jp.techcrunch.com/archives/20120322facebook-buys-750-ibm-patents-to-defend-against-yahoo/

FacebookIBMから特許750件を買収―Yahoo!からの訴訟に防衛体制を整える
Bloombergによれば、Facebookは特許トロル避けにネットワーク関連の特許750件をIBM から取得した。Yahooがこの750件の特許に含まれるテクノロジーを使っているとすれば、FacebookはそれをYahooが起こしている特許権侵害訴訟における有力な武器として用いることができる。


この特許ポートフォリオの取得成功でFacebookが直面する危険は低くなっただろうが、特許トロルYahooが漠然としたソーシャル広告に関する特許を使って他のもっと小さい会社を訴えるのを止めさせることはできない。


Yahooが特許権侵害訴訟を起こして以後、Facebookは株式上場を控えて投資家に不安を与える要素を取り除くため、和解するかライセンス契約を飲むかしなければならなくなる危険に直面していた。もちろん裁判でYahoo特許の無効を争うこともできるが、判決が出るのは上場よりはるか先のこととなり、上場時に投資家をためらわせる材料になりかねない。


Facebookは若い会社なので他のテクノロジー大企業のような巨大な特許ポートフォリオ保有していない。アメリカでは503件を出願して56件が認められたにすぎない。時価総額1000億ドルにもなるといわれる上場を間近にしたFacebookは特許トロルにとって格好の獲物だ。YahooはそこにつけこんでFacebookにとってまさに最悪のタイミングを狙って訴訟を起こした。


IBMからの特許買収によってFacebook保有するアメリカでの特許は800件以上となる。交渉が決裂すれば目には目を、で特許権侵害訴訟で反撃が可能となる。巨額の和解金を支払ったり上場後の株価に悪影響を与えたりせずにすむかもしれない。


IBM特許は他のYahoo以外の他の特許トロルを追い払うのにも有効だろうFacebookは昨年22件の特許訴訟を起こされている。一部の件では和解金を支払うことを余儀なくされているようだ。ちなみに、今回の特許の売却でIBMの特許上の立場が弱まる心配は皆無だ。IBMは昨年1年間だけで6180件の特許を新たに取得している。特許権売却はIBMにとって有力なビジネスだ。2010年にはIBMGoogleに 1000件の特許を売却している。


テクノロジー業界の多くは今回の訴訟でYahooに強い懸念を抱いている。関係者はこうしたパテント戦争の軍縮を望んでいるが、実態は相互確証破壊戦略による軍拡レースとなっているようだ。Facebookは今回の特許ポートフォリオの取得に巨額の資金を投じたはずだ。Facebookのような資源を持たないスタートアップにはその真似はできない。次にYahooが狙う標的はそういったスタートアップかもしれない。


〔トロルとはもともと北欧神話に出てくる山奥や地下の洞窟に住んで人間に害を与える醜い小鬼の意味。〕

この記事はヤフーのことを「特許トロル」と呼んでいる。これは誤り。以下で「特許トロル」とは何ぞや?という話をしつつ、なぜ誤りなのかを示したい。


そもそも「特許トロル」という日本語は普通は使わない。英語をそのまま読んで「パテントトロール」と呼ぶ。グーグルなどで検索してヒット数を見れば分かる。

1.「パテントトロール」とは何か?

では「パテントトロール」とは何か?明確な定義がない。トロールが怪物の名前であるように"特許を使って悪いことをする"くらいのイメージだ。この概念は「善悪」という価値判断が入っているので明確でない。よってパテントトロールよりもNPE(non practicing entity)という言葉を使うべきだ。これは明確な定義が可能で「特許を自社実施していない特許権者」だ。


パテントトロール」という言葉は90年代前半にインテルの弁護士がつくったと言われる。つくった本人によれば(Peter Detkin『Trolling for Dollars』(2001))、

パテント・トロールとは、ある特許について、その特許をビジネスに利用しておらず利用する意思もなく、またほとんどの場合はビジネスに利用したこと自体がないにもかかわらず、その特許を使って莫大な利益を上げようと画策する人物、企業、組織を指す。
http://www.ipnext.jp/journal/kaigai/terry.html (リンク切れ)


「その特許を利用しない」点が「パテントトロール」の本質だと分かるだろう。別の例を挙げると「パテントトロール」に散々やられていると思われるソニー*1知財トップ守屋文彦氏は経産省(特許庁)の審議会の資料でこう説明している。

米国のパテントトロール NPE(Non Practicing Entity)において、典型的な例は、(1)数十%の利回りを想定して投資家を募り、(2)この投資を元に LLC(Limited Liability Company 有限責任会社)を設立した上で特許を買収し、(3)この特許を文言上実施していると推測され得る会社をできるだけ多く、(4)原告の勝率の高い連邦地裁裁判所に陪審裁判を求めて提訴し、(5)通常3年以上もかかる裁判のすべての過程を経る以前に被告各社と和解するケースである。これらのNPEは特許権の行使を一種の金融商品にして、比較的短期に現金化を図り、投資回収ビジネスを行っているともいえる 。原告の勝率が高いといわれる連邦地方裁判所では 、簡易判決(Summary Judgement)を下すことが大変少なく、かつ特許が無効となる可能性が低い傾向が顕著である。
被告としては、このような裁判地に訴えられた場合、特許の権利解釈上勝算があっても、CAFC(米国 知財高裁)まで係争を継続する覚悟が必要だと言われることもある。
日本は、上記(4)と(5)の状況を欠くため、米国とは異なる環境にあると思われる。
http://www.jpo.go.jp/shiryou/toushin/shingikai/pdf/tokkyo_shiryou027/2.pdf

パテントトロール」をNPEと言い換えている。また「パテントトロール」の特徴(1)〜(5)も(当たり前だが)的確な指摘。日本についても的確な指摘。

2.ヤフーは「パテントトロール」か?

上のインテル弁護士の定義や守屋氏の挙げた特徴から考えればヤフーは「パテントトロール」とは言えないだろう。フェイスブックと同様ネットビジネスをしているわけで自社の特許を自社で実施してるだろうし。ということでヤフーを「パテントトロール」と呼ぶのは誤り。記事は「Yahooはそこ[フェイスブックの上場]につけこんで」などと書いているがヤフーが自社の保有する特許権を行使して何が「悪い」?記者の価値判断を勝手に挟み込むなと言いたい。


パテントトロール」=NPEということが分かれば、記事にある「IBM特許は他のYahoo以外の他の特許トロルを追い払うのにも有効だろう」も誤りだと分かる。「パテントトロール」は自社でビジネスをやっていないのでフェイスブックIBM特許で反撃しようとしても反撃する対象がないからだ。記事は「特許権侵害訴訟で反撃が可能となる」などと書いているが「私はパテントトロールのことは何も分かっていません」とを自白しているだけ。この反撃できない点こそが「パテントトロール」が厄介な本質的な理由だ。だから「パテントトロール」を守屋氏のようにNPEとして捉えることが適切だ。

3.結論

ということでこの記事はテッククランチの元記事を書いた記者が全然分かっていないし、「特許トロル」などと訳している訳者も分かっていない。この記事にコメントしている人たちもこの誤りを指摘していない。ということで「誰も分かっていない状態でワーワー言ってる」というよくある光景。守屋氏も上で取りあげた審議会で曖昧な定義の「パテントトロール」という概念に基づいて議論(差止請求の制限)しても無駄だ、と怒っている。
ちなみに参照されているブルームバーグの記事はヤフーをトロールと呼ぶようなことは書いていない。

4.補足:特許競争は軍拡競争

なお、記事が「[テクノロジー業界は]パテント戦争の軍縮を望んでいる」とあるがこの書き方は適切だろう。冷戦時の軍拡競争は囚人のジレンマの典型例としてよく挙げられる。ノーベル経済学受賞者のトーマス・シェリングの研究が有名だ。
そして特許競争は軍拡競争と基本的に同じだ。フェイスブックもヤフーも特許競争を止め、特許にかかるコストを技術開発など顧客への価値の提供に投資すれば互いに得をする。しかし、相手が特許を取らない場合、自社だけが特許を取れば、その得は軍縮時よりも大きい。相手に権利行使して利益を奪えるので。
よって互いに特許を取るという抜け駆けへのインセンティブがあるので、特許競争は止められない。「テクノロジー業界がパテント戦争の軍縮」という「よい均衡」を達成できるかは興味深いトピック。

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ソニーがフォージェントというパテントトロールに1620万ドル支払ったという話が出てくる。著者はフォージェントの作戦を「まずは有名な会社[ソニー]を晒し首にして、世間を恐怖に陥れて、それをトリガーにして他社からもライセンス料を巻き上げるという戦術」(p.104)と評している。※著者は米国特許弁護士。パテントトロールの歴史が分かる本。パテントトロールといえば90年代前半のレメルソンが有名だが、本書は70年代というアンチパテント時代のトロールを紹介しているなど示唆に富む。

*1:ソニーがやられたパテントトロールの一例はフォージェント。