「まんべくん」騒動と強度

現実

現実問題としては、長万部町と広告会社の契約の問題。よって、契約法にしたがって処理されればそれで終わりだろう。町が不用意な相手と契約してしまったというだけ。

抽象

自分の中での本騒動の位置づけは<強度>を求める動きの一つの例。<強度>とは「それ自体が目的」「意味がない」といった特徴をもつ概念。典型的なのは、ドラッグ、クラブなど。「今ここ」という言葉で象徴される。例えば、「今ここ」にいるクラブの観客の高揚感や一体感が<強度>だ。Fatboy Slimの曲に「Right Here, Right Now」というのがあるのも理由があるということ。

自分は、この<強度>を以前のエントリで触れた<意味>と合わせて使っている。
この<意味と強度>という視点は現代の社会を考える上で有用だと思う
この視点は宮台真司氏の本で知った。また、自分が宮台氏の本を読むようになったきっかけでもある。例えば、『人生の教科書 よのなか』(1998)や『美しき少年の理由なき自殺』(1999)など。宮台氏によれば<強度>はニーチェに起源があるという。<意味>については多くの本で言及されているが、それと<強度>を組み合わせるという視点は自分の狭い読書の範囲では他に見つからない。

以前のエントリで、次のようなことを書いた。
脱工業化社会になり「いい学校、いい会社」が人生の<意味>となり得なくなった。<意味>を失ったロンドンの若者がギャングになり暴徒になり暴動を起こしたのだろう。<意味>を失った者がとる行動として典型的なのが<強度>を求める行動。ロンドンの暴徒も「(もう生きてても意味ないし)火つけてモノ分捕って暴れてやるぜ。ヒャッハー」という感じだろう。BBCのサイトにアップされていた暴徒のインタビューを聞くと「本当に何も考えてないんだろうな」という気になる。上に挙げたドラッグやクラブは暴動より手ごろな<強度>を求める行動といえる。ロンドンの暴徒はドラッグとクラブ両方に親しんでいるだろう。なぜなら、ギャングはドラッグをビジネスにしているというし、ロンドンはクラブミュージックの聖地の一つなので。

抽象と現実

日本では<強度>を求める行動の一例として、本騒動のような行動があるのではないかと思う。なぜなら、この騒動の行動が、以下のような<強度>を求める行動の特徴にあっているため。
1.「それ自体が目的」「意味がない」、2.高揚感・一体感がある

本騒動では、1.について、「まんべくん」の左よりの発言を止めさせたところで、止めさせたこと自体は、止めさせた人たちにとって大した意味はなさそうだ。なぜなら、この人たちは「右よりな思想を広めたい」と思っているとは思えないから。「右よりな思想を広めたい」なら、「まんべくん」と議論して論破した方が目的にかなっていると思う。よって、「右よりな思想を広める」より「発言を止めさせる」こと自体が目的だったと思う。
また「発言を止めさせた」ことが報道されることでゲームのミッションをクリアしたときのような<強度>を感じているのだろう。例えば、飲酒運転をtwitterで自白した学生が発見され、2ch上で"祭"になった場合に、"祭の勝利条件"といったことが言われ、例えば、「勝利条件=停学」のように書かれる。これは、それ自体を目的にしたゲームだろう。

2.について、一般に"祭"状態のスレは盛り上がり、いかにも高揚感・一体感を表すようなレスが見られる。

そもそも祭は古くから共同体のメンバーに<強度>を与える存在だった。よって、2chの"祭"というのは至極適切なネーミングだ。

まあネット上の"祭"ならイギリスのように現実で暴動起こすより有害でないことが多いだろう。ターゲットとなった人が自殺してしまったりするととても有害だが、今回のイギリス暴動の死者より多くなることは少ないだろう。
繰り返しになるが、根本的な問題は、社会のメンバーにどうやって<意味と強度>を与えるかという問題だ。

人生の教科書 よのなかのルール (ちくま文庫)

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人生の教科書[よのなか]

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美しき少年の理由なき自殺

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