島田紳助引退:ヤクザの本質は何か?

抽象

暴力団の本質は何か。法学の視点からは<自力救済>だろう。
近代社会においては自力救済は禁止されている。なぜなら、自力救済を認めると「万人の万人に対する闘争」に逆戻りしてしまうため。よって、近代社会では救済が与えられるか否かは法に基づき公平に判断される。そのために裁判・執行などの司法制度がある。自力救済の禁止を言い換えると、尖閣諸島ビデオ流出事件の頃話題になった「国家による暴力の独占」ということだ。暴力団は国家による暴力の独占に反し私人が暴力を維持している。

近代以前、すなわち中世においては自力救済が広く認められてきた。例えば、フランク王国におけるサリカ法典(レークス・サリカ)は原則を自力救済、例外を贖罪金と定めていた。具体的には、例えば、傷害・殺人などの被害者の家父が親族を結集し加害者とその親族に復讐した。これをフェーデと呼ぶ。今の暴力団同士の抗争と同じ。中世の裁判の一つは原告と被告のうち決闘で勝った方が勝訴という決闘裁判。これは自力救済と近代の裁判の中間形態。このように司法制度も自力救済から始まり徐々に現在の形に置き換えられて成長していった。

暴力という意味で、国家による法の執行と暴力団は共通する。すると暴力団の機能は、国家による法の執行の"隙間"を埋める代替手段といえる。

抽象と現実

産経新聞より。http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110824/ent11082411470012-n1.htm

「歯切れ悪いですね」 親友やしきたかじんさん、ツイッターで発言
2011.8.24 11:44

 人気タレントの島田紳助さん(55)と親交がある歌手のやしきたかじんさん(61)が23日夜から紳助さんの引退騒動について自身のツイッターにこう書き込んでいる。

 ニュース番組などで報じられた紳助さんの会見を見て、《歯切れ悪いですね。本質が暴力団とのメールだけで吉本興行は切らないと思います》

 《ここ10数年間、南に土地ビルを収得・商売を展開している間に其の種の人達と関係が深まって行ったのは事実》と断言。

 さらに、《刑事事件にしないと云う前提での引退》と分析している。

これは「島田紳助は不動産取引で暴力団と関係していた」というやしきたかじんのコメント。このコメントは納得がいく。
なぜなら、不動産取引(特に競売)は暴力団に適しているので。その理由は不動産取引において占有が必要なため暴力の有用性が高いからだろう。
不動産に対し、動産も占有が必要だが、あまり問題にならない。概して価格が安いからだろう。
債権(銀行預金など)は価格が高いが、占有できないので、暴力の必要性は不動産取引に比べて低いと思われる。
上で述べたように、近代国家は暴力を独占し、法を執行する。しかし、法は人間が作るものであり完全ではない。この法の執行の"隙間"に自力救済としての暴力が入り込む余地があるのだろう。これが国家による法の執行の"隙間"を埋める代替手段という意味だ。
以上から、上のコメントどおりなら島田紳助の行動もありふれたものといえる。

以上のように考えると、<暴力団が消滅する(=国家がすべての暴力を独占する)>というのは、<法(の執行)が完全になる>ということなので、現実的ではない。国家の暴力で暴力団を消滅させるというより、法の不備がなくなっていく過程で、暴力団も自然に減っていくというのが望ましいのではないか。もちろん暴力団の数に影響する要因は法だけではないが。

なお、前回のエントリで触れた<法と実態の乖離>も法の不備の一種といえる。

概説 西洋法制史

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決闘裁判―ヨーロッパ法精神の原風景 (講談社現代新書)

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