法と実態の乖離としてのパチンコ・売春・ドラッグ

以前、未成年者の飲酒禁止についてのエントリで、<法と実態の乖離>を批判した。
前回の暴力団についてのエントリで、<暴力団の機能は、法に不備がある場合における法の執行の代替手段>と書いた。<法と実態の乖離>は法の不備の一例といえるだろう。そうすると<法と実態の乖離>がある場合には暴力という代替手段が使われることがあるといえる。
未成年者飲酒禁止法と未成年者の飲酒の実態には乖離があると思う。しかし、そこに代替手段としての暴力はなさそうだ。それほど乖離が大きくないからだろう。
しかし、アメリ禁酒法の例を考えれば、<法と実態の乖離>が大きい場合に、代替手段としての暴力が使われることが分かるだろう。密造酒の販売でマフィアが栄えたのは、飲酒という人びとの実態と法の乖離が大きかったためといえる。
このようにある商品を違法としながら、実態としては、その商品の使用を止めさせる法の執行に不備がある場合、<法と実態の乖離>があるといえる。

今の日本でそのような例を考えてみると、ドラッグや売春などが思い当たる。どちらも暴力団の主要なビジネスだろう。
売春については、売春防止法により違法とされていながら、実際にはソープランドなどで売春が行われている。売春防止法施行時に、それまで警察(国家の暴力)によって秩序を保っていた所謂赤線地帯が、暴力団の暴力による秩序を求めなければならなくなったと言われる。
以前のエントリでドラッグの合法化を主張するゲーリー・ベッカーに触れたが、その理由の一つは、犯罪が減るというもの。禁酒法時代に犯罪が増えたという例についても書いていた気がする。ドラッグが合法化されれば、暴力団が利益を得ていた高い価格は維持できなくなり、価格が安くなれば、中毒者がドラッグ欲しさに金目当ての犯罪をすることも減る、ということ。

ドラッグや売春の他の例としてパチンコがある。刑法(賭博罪)で違法としながら、実態としては賭博だ。もっともあからさまな<法と実態の乖離>といえるかもしれない。パチンコについては、暴力団というより警察の利権になっているため見逃されていると言われることが多い。暴力団も警察も暴力による秩序維持手段ということで同じ機能をもっていることが分かる。しかし、暴力団と警察を一緒にするわけにはいかない。暴力団は"私"だが、警察は"公"(国家)なので。つまり、パチンコは国家による賭博罪の"幇助"といえるため、ドラッグや売春なんかよりよっぽど重大な問題ではないだろうか。もちろんドラッグや売春についても暴力団と警察の癒着はあるだろうが、パチンコはもっともあからさまだ。
パチンコについては「違法なのだから廃止しろ」という言われることが多い。しかし「パチンコを合法にする」ことによっても国家による犯罪の"幇助"を解消することができる。
ただ「廃止しろ」という意見が強いのはパチンコ店の経営(所有)が主に北朝鮮・韓国・中国系であり、彼らと日本の警察(国家)との癒着を問題視しているからだろう。

以上のように<法と実態の乖離>は法の不備と言え、そこには暴力が使われることがある。よって<法と実態の乖離>は問題だ。

ベッカー教授の経済学ではこう考える―教育・結婚から税金・通貨問題まで

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