法と実態の乖離:体罰をなくすにはどうしたらいいか?

前回のエントリで<法と実態の乖離>の例として売春・パチンコなどを挙げた。
他の例として思い出したのが学校における体罰
尾木直樹氏(法政大)が宮台真司氏との対談本『学校を救済せよ』で次のように述べていた。

体罰をなくすにはどうしたらいいか。体罰の定義を明確化し、体罰は認める。ただし、体罰以外を暴行と扱う。台湾はこの方法でうまくいった。

尾木氏によれば<タテマエ>としては体罰は違法(学校教育法11条)であり教師も保護者も「体罰はよくない」という。しかし実際に会って彼らから<ホンネ>を聞き出すと、一定の場合には体罰を容認する人が多いという。

尾木氏の事実認識が正しいとすると、氏の指摘している状況は<法と実態の乖離>であって、氏の提案はその乖離を小さくすることではないか。

文科省は「有形力の行使は体罰に当たる」と言いつつ「有形力の行使でも許容される場合がある」と下級審裁判例を紹介しており、結局、判断基準になっていない。こんな"基準"に基づいて行動しないといけない教師は大変そうだ。
例えば「ちゃんと叱ってくれないと困る。場合によっては体罰も構わないから」と保護者から<ホンネ>で頼まれ、その通りにやっていたら、ある時、ある保護者が「あの教師は体罰を加えた!」と校長に通報してきたら、学校側としても<タテマエ>通りにその教師を処分せざるを得ないのではないか。このとき有形力の行使という事実があれば、どれだけ"総合的な考慮"が教師に有利に働くか疑問だ。教師が「保護者から『体罰も構わない』と言われたんだ」と言い訳しても役に立たないだろう。自分が以前から問題視しているダブルスタンダードだ。

以下は学校教育法11条と文科省体罰に関する通知。

学校教育法 11条 校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない
http://www.houko.com/00/01/S22/026.HTM

1 体罰について

(1)児童生徒への指導に当たり、学校教育法第11条ただし書にいう体罰は、いかなる場合においても行ってはならない。教員等が児童生徒に対して行った懲戒の行為が体罰に当たるかどうかは、当該児童生徒の年齢、健康、心身の発達状況、当該行為が行われた場所的及び時間的環境、懲戒の態様等の諸条件を総合的に考え、個々の事案ごとに判断する必要がある

(2)(1)により、その懲戒の内容が身体的性質のもの、すなわち、身体に対する侵害を内容とする懲戒(殴る、蹴る等)、被罰者に肉体的苦痛を与えるような懲戒(正座・直立等特定の姿勢を長時間にわたって保持させる等)に当たると判断された場合は、体罰に該当する

(3)個々の懲戒が体罰に当たるか否かは、単に、懲戒を受けた児童生徒や保護者の主観的な言動により判断されるのではなく、上記(1)の諸条件を客観的に考慮して判断されるべきであり、特に児童生徒一人一人の状況に配慮を尽くした行為であったかどうか等の観点が重要である。

(4)児童生徒に対する有形力(目に見える物理的な力)の行使により行われた懲戒は、その一切が体罰として許されないというものではなく、裁判例においても、「いやしくも有形力の行使と見られる外形をもった行為は学校教育法上の懲戒行為としては一切許容されないとすることは、本来学校教育法の予想するところではない」としたもの(昭和56年4月1日東京高裁判決)、「生徒の心身の発達に応じて慎重な教育上の配慮のもとに行うべきであり、このような配慮のもとに行われる限りにおいては、状況に応じ一定の限度内で懲戒のための有形力の行使が許容される」としたもの(昭和60年2月22日浦和地裁判決)などがある。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/07020609.htm