米国特許法「先願主義」へ:なぜ今まで先発明主義だったのか?

現実

記事(本ページ末尾)中にあるように5年ほど前から「移行するする」と言っておいて先延ばしになっていたアメリカの先願主義への移行。「移行するする」詐欺を遂に脱するかというところ。

抽象と現実

今まで"グローバルスタンダード"に反してアメリカが先発明主義を守り続けていた理由は何なのか。それは特許業界(特許弁護士業界)の利権だろう。
先願主義とは出願の日付で発明の先後を判断する考え方。よって判断基準が明確だ。一方の先発明主義とは発明自体の日付で先後を判断する考え方。よって、争いになりやすい。例えば、ラボノートの日付などでどちらの発明者が先に発明したかを争う。このような争いは特許庁(USPTO)のインターフェアレンスと呼ばれる手続や特許侵害訴訟の裁判所の手続などで行われてきた。このような争いは当然、それを手がける特許弁護士の利益になる。よって論理的に考えれば、彼らは先発明主義を維持するようロビイングしてきたはずだ。

先願主義への移行は以上のような特許業界の利害がIT業界の利害と対立し、ロビイングに敗れたことを意味するだろう。記事にあるようにグーグルなどIT業界は特許訴訟を減らしたい。弁護士費用を中心とする訴訟費用を払いたくないからだ。グーグルやマイクロソフトなどの大企業は訴えられることの方が多い。
記事中に日本企業の戦略への影響云々とあるが、戦略に影響などない。日本企業への影響は単に発明の先後を争ってアメリカの特許弁護士に余計な弁護士報酬を払わなくて済むようになるということだ。
政治学においては、このような利益集団同士の競争は多元主義と呼ばれ、アメリカに典型とされる。


また、この先発明主義は以前から(ここや、ここや、ここ)批判してきたアメリカの"ダブルスタンダード"の一種でもある。アメリカは自らの利益になる場合だけ"グローバルスタンダード"などと言い、特許制度の国際調和を進めてきた。例えば、GATT/WTOのTRIPS協定などである。しかし、自らの利益に反する場合はそうではない。先発明主義がまさにその例だ。世界の主流("グローバルスタンダード")は先願主義なのに、それに反して先発明主義を維持し続ける。このような"ダブルスタンダード"を批判したジョセフ・スティグリッツについて以前のエントリで書いた。スティグリッツ知財に関するアメリカの国家戦略を"ダブルスタンダード"の一種だとして批判している。例えば、上記のTRIPS協定や医薬品特許が批判されている(『世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す』(2006))。医薬品アクセス問題についてはアマルティア・センも批判していた(『人間の安全保障』(2006))。


なお、大統領の署名は、以前のエントリで触れた大統領制における権力分立の現われだ。

参考文献

インターフェアレンスを批判しているのは上山明博『プロパテント・ウォーズ』(2000)。著者はサイエンスライターで特許/知財の専門家ではないが、本書は下手な専門家の書いたものよりまとも。
スティグリッツ同様、GATT/WTOなど知財に関するアメリカの国家戦略を批判しているのは石黒一憲氏(東京大)の著作。専門は国際私法や国際経済法。例えば、『情報通信・知的財産権への国際的視点』(1990)や『世界貿易体制の法と経済』(2007)。
TRIPS協定の交渉に実際に関わった元官僚の高倉成男氏による『知的財産法制と国際政策』(2001)。このような本は他にない。
政治学における多元主義については、例えば伊藤光利・田中愛治・真渕勝『政治過程論』(2000)参照。

現実

日経新聞より。
http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C9381959FE2EBE2E4998DE2EBE2EBE0E2E3E39494E0E2E2E2

米特許「先願主義」法案を可決、大統領の署名焦点に
2011/9/10 0:20
 【ニューヨーク=小川義也】米上院は8日、特許法の包括的な改正法案を賛成多数で可決した。同法案は既に下院で可決しており、オバマ大統領が署名を判断することになった。署名すれば法律が成立する。発明した時点を重視する「先発明主義」から、特許出願の早さを優先的にみる「先願主義」への移行が柱。先進国で唯一、先発明主義を採用する米特許制度のグローバルスタンダードへの移行は日本企業の戦略にも影響を与えそうだ。
 米国は2006年に特許に関する国際会合で先願主義への移行を表明。07年には特許法の改正法案が下院で可決されたが「先発明主義こそが新技術の創造を促す」と主張する個人発明家や中小企業団体などの反対で、最終的に法律が成立しなかった。
[…]
 特許紛争が急増しているIT業界では、米グーグルが通信関連の特許を多数抱える米モトローラ・モビリティーを買収するなど、訴訟リスクを減らすために特許を囲い込む動きが活発化している。先願主義への移行は、特許紛争の減少につながると期待されている。
[…]

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