花王デモ:「幻想から強度へ」 三島由紀夫の予言
現実
2ちゃんまとめサイトによると、2000人以上が参加したそうだ。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1664116.html
このデモの中心となったのは2ちゃんの既女(鬼女)板だろう。デモの動画を見ても、以前のフジテレビデモよりさらに既女らしき参加者が多い。平日昼間だし。そもそも花王の不買運動だし。
抽象と現実
自分は、このデモが、専業主婦の<教育幻想という意味から強度へ>の移行の表れかもしれないと思う。今回はこの仮説について書いてみる。
まず、<意味と強度>について。<意味と強度>については本ブログで何度か書いている(こことかここ)。
この視点からは、今日のデモは<意味>ではなく、<強度>を求める行動と思える。
以前にも書いたが、<強度>を求める行動の特徴として
1.「それ自体が目的」「意味がない」、2.高揚感・一体感
というのがある。
このデモの目標は花王がスポンサーとして影響力を行使し、フジテレビに偏向放送を止めさせることだろう。しかし、多くの指摘があるように、フジテレビの偏向放送は社会厚生にとっては大した影響ない。例えば、震災後の復興、原発問題などよほど最大多数の最大幸福に関係が深い問題が他にある*1。よって、条件1.を満たすように思う。また条件2.も満たす。よって、このデモは<意味>ではなく、<強度>を求める行動と思える。
次に、専業主婦と教育概念について。
まず教育幻想とは何か。以前から指摘している「よい学校、よい会社」という幻想(の一部)だ。これは<意味>を求める行動につながる。例えば「今は大変でも、勉強しておけば、いい学校に入れて、いい会社に入れて、いい人生が送れるの。だから今我慢することは<意味>があることなの」という言い方(物語)で。
この教育幻想は、どういう経緯で生まれたのか。それは専業主婦と関係する。専業主婦は1950年代後半、高度成長とともに登場した。核家族が増加し、家族団らんといった家族幻想が生まれた。しかし、1970年代後半に、家庭内暴力が問題化し(例えば開成高校生殺人事件(1977))、家族幻想が失われていった。それを補ったものが教育幻想。教育幻想を担ったのが、専業主婦。彼女たちは「子どもにいい教育を与えなければ」と考えた。
宮台真司氏によれば、このような主婦の教育幻想が<学校化>を生み、<学校化>が凶悪な少年犯罪(例えば酒鬼薔薇事件(1997))の背景となったという。よって、宮台氏は凶悪な少年犯罪を減らすために専業主婦撲滅が必要だと主張した(例えば『透明な存在の不透明な悪意』(1997)、『居場所なき時代を生きる子どもたち』(1999))。といっても、いくら有名な宮台氏とはいえ、一人の社会学者の主張で、専業主婦を撲滅できるほど影響力があるわけではない。
自分としては、専業主婦を撲滅しなくても、教育幻想は脱工業化による「よい学校、よい会社」という幻想の消滅に伴って消滅している(いく)のではないかと思う。それが今回のデモにも現れているのではないか。
教育学者からも、教育幻想の消滅が<学びからの逃走>を生み、学力低下につながっているという佐藤学氏(東京大)の指摘がある(『「学び」から逃走する子どもたち』(2000))。
主婦が教育幻想から解放され、自分の<強度>を求めるようになったという仮説が正しいとすると、これは望ましいことか。望ましさの判断基準としてリベラリズムと功利主義に基づいて考える。主婦にとってデモの他に<強度>を求める行動として、不倫(や売春)などがあり得る。リベラリズムに基づけば、不倫や売春も侵害原理を満たす限り、問題はない。しかし、侵害原理を満たさないことも多いだろう(例えば、不倫は違法ではないが家裁の審判などで違法に準じた扱いを受けるだろう)。それに比べ、デモは表現の自由の範囲内である限り、侵害原理を満たす。よって、デモの方が望ましいといえる。そして、偏向放送ではなく、より社会厚生を上げるような目的でデモを行えば、さらに望ましいといえる。デモの動画を見る限り、(プロ市民ではなく)一般人が参加しているという印象を受けた。このような一般人がデモに慣れ、将来、より社会厚生を上げるような目的でデモをするキッカケになるという点でも望ましい。
以前から指摘しているように、現代の社会の根本的な問題は、社会のメンバーにどうやって<意味と強度>を与えるかという問題だ。少年犯罪という弊害のある教育幻想や、弊害のある<強度>(例えば不倫)より、弊害のない<強度>は望ましい。よって、弊害のないデモは、社会のメンバーに<強度>を与える方法として望ましい。
さて、以上のような議論を予見するかのような指摘をしていたのが三島由紀夫である。『不道徳教育講座』(1959)に次のような記述がある。
私は文明人の最大のたのしみは、自分の内の原始本能を享楽することだと信じています。(p.257)
日本人は、江戸時代の文明が持っていた、「原始本能の享楽」などというゼイタクな要請に、ついぞ耳を貸す暇がありませんでした。原始的欲望を何もかも断念するのが文明人の資格だという、まちがった考えにとりつかれ、しかも役人ばかりか、主婦連やPTAがこれに輪をかける。そして日本の文化はますます野生的な魅力を失うにつれて、巷には、兇悪犯罪が増大していくのであります。(p.258)
さすが、三島由紀夫だ。ここで原始本能の享楽が<強度>に当たる。原始的欲望を何もかも断念するのは、幻想にとらわれ<意味>を押し付ける態度を表す。このような幻想(の押し付け)を担っている者として、役人、主婦連、PTAを挙げている*2。つまり、この文章で三島は、まず江戸時代の<強度>から、明治以降の近代日本の<意味>への転換を示している。次に役人、主婦連、PTAが担う<意味>(例えば、教育幻想)に反発する形で兇悪犯罪が増大すると予測している。
まさに宮台氏の議論を先取りした指摘といえるだろう。それもこれだけ早く。上に書いたように専業主婦の登場は1950年代後半で、本書はその50年代後半に書かれている。さすがだ。<強度>を求めるのはゼイタクな要請だという指摘も鋭い。
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