橋本治『いちばんさいしょの算数2』

橋本治『いちばんさいしょの算数2』(2008)筑摩書房 ★★★★

『いちばんさいしょの算数1』(読書メモ)の続き。本書は割り算と引き算について。ページ数の大部分が割り算に当てられており引き算は最後に少しだけ。教える順序を加減乗除ではない順番に変えているのもおもしろいし、分量の不均衡もおもしろい。また本書は前著に比べ考え方について書いた箇所が多く、その考え方は算数に限らない話で橋本氏がテーマを替え繰り返し主張しているものだと分かる点が興味深い。

冒頭で『いちばんさいしょの算数1』に書かれていた<128の足し算と31の掛け算は既に知っているという点だけは大丈夫ですよね>と確認して始まる。

算数でたいせつなことは、「それは知っている」と思うことです(p.21)

この点は本書の最後の文でも繰返されており嫌と言うほど強調されている。なぜ強調されるかというと算数は知っていることの言い換えだからだ。

知っているから、考えればわかるんです。だから、一生けんめい考えなくちゃいけないんです。それを[…]「7のなかみなんかおぼえていないから知らない」と言ったり、「おぼえなくていいって言われたから、わかんない」なんて言ったりしてはいけません。(p.110)

それは知っているんだから、ちゃんと考えよう」と思ってください。(p.118)

それは知っているはずなんだから、ちゃんと考えてみよう」というくせがついたら、もう「算数のできない人」ではないのです。(p.121)

いつのまにか、「自分は知っているはずなんだから、考えてみよう」というくせがついて、自分で考えることが平気になった人です。(p.121)

このあたりは算数に限らず一般的に妥当するだろう。<自分の頭で考えるとはどういうことか>という問題。この問題は橋本氏の著書では近代の問題として繰り返し取り上げられている。この問題の題材として算数がはまっている。つまり<自分の頭で考える>の例として<公理から論理を使って答えを導く>という算数の例がはまっている。公理を知っていれば(論理を使って)<自分の頭で考えられる>はずだということを子どもに分からせることが<自分の頭で考える>ための教育だということだろう。賛成できる。

論理というのは「=」による言い換えである。算数は言い換えだという点を教えるため2+5=7という式と同時に7=2+5のような式を教えている。

割り算は分けるというより数字の中身を調べるものである。和・差・積と違い「商」だけが意味が取りにくいが「測る」という意味。

10÷2=5という答えがわかっている人は「10の中に2がいくつあるか?」といったことは面倒だといって考えようとしない。そして割り算の<考え方>も面倒くさいと思うようになり割り算がわからなくなる。こういうことはよくある。