ゼンショー「経営を度外視してまで防犯に取り組む必要があるのか」はもっともだが、社会の相互依存性を理解していない

読売新聞より。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111013-OYT1T00613.htm

2ちゃんまとめサイト経由で知った。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1669886.html

警察庁が指導、「すき家ゼンショーの経営姿勢
警察庁は12日、「すき家」の運営会社「ゼンショー」に、防犯体制に不備が目立つとして指導を行った。
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 今回の指導について、ゼンショーの広報担当者は「経営を度外視してまで防犯に取り組む必要があるのか考えたい」と発言。防犯カメラの設置などの対策を進めていると説明した上で、「複数の夜勤がいた店が被害に遭った事件もあり、従業員を増やしたところで強盗は防げない」と同庁の指摘に疑問を投げかけた。また、出入り口付近にレジを設置していることについては、「客が出入りしやすい場所なので配置している。変える必要があるか検討したい」と話した。
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(2011年10月13日14時10分 読売新聞)

いろいろな概念で解釈できそうな事例だが、ここではこのブログで過去に言及したトレードオフ社会の相互依存性について。あと懲罰的損害賠償について。

1.トレードオフ

「経営を度外視してまで防犯に取り組む必要があるのか」というコメントだが「その必要はない」に決まっている。この広報担当者の言うように企業の利益と防犯はある程度はトレードオフにあるからだ。例えば、池田信夫氏が繰り返し指摘しているように原発問題におけるエネルギー供給と安全のトレードオフと同じだ。以前のエントリで書いたようにトレードオフは経済学の中でも最重要概念の一つであるのに、一般にはあまり理解されていないようだ。ミクロ経済学トレードオフ的状況で個人や企業がどのように合理的な行動を選択するかを分析する。この視点からはゼンショーの「経営を度外視してまで防犯に取り組む必要があるのか」というコメントは何の不思議もない。

2.社会の相互依存性

じゃあ広報担当者は合理的かと言うとそうではない。なぜなら利益と防犯は単純にトレードオフにあるわけではないからだ。つまり、ゼンショーがこういうコメントを出すことによって消費者が離れ、利益を下げるという因果関係が成り立ちうるからだ。不二家などコンプライアンス問題を起こした企業は似たような広報の失敗を起こしている。その失敗の原因は企業の利益という目的(結果)につながる原因が無数にあるという認識が欠如しているからだろう。社会は相互依存的なシステムであり、一つの結果に無数の原因があることがほとんどだろう。また他方で一のアクターの行為が無数のアクターの行為に影響しうる。このような世界観が新制度論・新制度学派の前提にある(過去のエントリ参照)。
このような世界観がゲーム理論が前提とする戦略的状況という世界観だ。新制度論・新制度学派はゲーム理論を下敷きにしている。相互依存すなわち互いの行為が互いに影響を与えることは相手の行動を読んで自分の行動を決めるということであり、これが戦略的な行動ということだ。
小室直樹氏はよく社会における無数の因果関係を仏教縁起概念を例に説明していた。wikipediaによれば「仏教における縁起[・・・]は、仏教の根幹をなす思想の一つで、世界の一切は直接にも間接にも何らかのかたちでそれぞれ関わり合って生滅変化しているという考え方を指す」。
今回の事例では、ゼンショーがこのような広報をすることで新聞記者がどのような記事を書き、それに人びとがどのような態度を示し、その態度がどう他の人に広まり、その態度が再び新聞記者に影響を与え、…という無数の因果関係の連鎖を考慮していないというのがゼンショーの失敗の原因だ。特に広報というメッセージの内容とメッセージを発すること自体がメッセージになるというメタメッセージの概念が理解できていれば、このような失敗は防げたのではないだろうか。

3.フォード・ピント事件

フォード・ピント事件はアメリカ法の懲罰的損害賠償の説明で出てくるPL法(製造物責任法)についてのアメリカの判決。この事件の被告フォードは今回のゼンショーに似ている。この事件はフォードが自社製品の欠陥を知りつつ、事故被害者への損害賠償金の方がリコール費用より安いと判断してリコールをしなかった。「経営を度外視してまで事故防止に取り組む必要がない」と判断したわけだ。その結果、裁判でフォードの故意が認定され懲罰的損害賠償を命じられた。
ゼンショーもこのまま防犯措置をとらずに、強盗が客に怪我させるなどした場合に、故意があると認定されても不思議ではない。そのような認定がされても、賠償額は一般的な損害賠償と同じでいいのか、という問題がある。確かにこういう場合は、民訴法学者の小林秀之氏(一橋大)のように、懲罰的損害賠償を導入したくなるのも分かる。
フォード・ピント事件はマイケル・サンデルが、功利主義を攻撃するためにハーバードの授業で取り上げていたようだ。日本の裁判所も当然功利主義に基づいて不法行為の事件を処理している。そして民法学者などから批判がある。批判したいのは分かるが、他にどうしろというのか。裁判所は目の前の事件を解決しなければならないのだから。