オタク婚活パーティー:婚活の罠(目的合理主義の罠)

2ちゃんまとめサイトより。

【オタク婚活パーティー】 一般女性がついにオタクを狙い始めたwwwww
http://blog.livedoor.jp/insidears/archives/52531656.html

日本経済がこんな状況なので、いわゆる「三高」を諦めた女性が「オタクでもいいから、経済的に安定した人と結婚したい」と考えるようになった。それで金儲けをしようとする業者がオタク男性と一般女性という組み合わせの「オタク婚活パーティー」を開いているという。その事情を紹介したテレビ番組についてのスレ。

番組では「オタクなら余裕で引っ掛けられるでしょ」と思いっ切りオタクを下に見てる一般女性がパーティに参加するものの見事にフラれて、2ちゃんねらーが「ぷぎゃあああ」「ヲタを舐めるな」と快哉を叫ぶスレ。おもしろい。つい笑ってしまった。「下衆くて良いコーナーだった」というレスがあるが、まさにその通りでヤラセくさいのも含めテレビ番組らしい好企画。


さて、昨日は「目的合理主義が身についていない、具体的には大きな目的が小さな目的に矮小化されるからダメだ」という話をしたが、今日は「目的合理主義があればいいってもんじゃない」という話をしてみたい。なお、目的合理主義とは目的に対してそれを達成するために適切な手段を選んで実行する考え方。

1.オタクにフラれた一般女性はなぜ嫌われたのか?

もちろん「見下してたから」というのもあるが、ここではそれとは違うことを問題としたい。この問題については以前書いた「猫ひろしのマラソン・カンボジア代表としてのオリンピック出場はなぜ応援されないのか?」というエントリが出発点としていいだろう。そこではこう書いた。

オリンピック出場という目的のためにカンボジアという一国を手段に使おうという猫ひろしの目的合理主義が嫌われている

同じことがこの番組の一般女性にも当てはまるのではないか。「経済的に安定した生活」という目的のためにオタクを手段として使う彼女の目的合理主義が嫌われるのではないか。フラれた後の彼女のコメントが目的合理主義をよく表している。

絶対みんなが狙わないラインを結構狙っていたはずなのに・・・

えっ、結構話してあげたのにって感じです

あの人オタクにもモテなかった人だって思われる

結婚を嫌う2ちゃんねらーが夫を表すのによく使う「ATM」という言葉があるが、この言葉はまさに夫をカネのための手段として使う妻への批判だろう。

2.当たり前だけど目的合理主義だけじゃうまくいかない

当たり前のことだが、世の中すべて目的合理主義だけでうまく行くはずもない。大雑把に言って人間関係ではまずうまくいかないだろう。今回もイマヌエル・カントの「他人を手段にするな」という言葉を思い出す。
結婚について言えば、目的合理主義だけで結婚生活がうまくいくなんて、少し考えればヘンな話と分かると思うが。<意味と強度>の枠組みで言えば、「カネもってるオタクと結婚→カネがあるので安定した生活→幸せ」って幻想(<意味>)は粉砕されて当然。世の中そんなに単純なら人生は今よりずっとイージーモードだろう。勝手なことを言わせてもらえば、こんな幻想(<意味>)にすがって結婚するような男女が不倫という<強度>を求めるようになるんだろう。


自分の場合は少なくとも「結婚を目的合理主義だけで考えたら失敗する」と認識していたので<強度>で相手を選んだつもりだ。というか恋愛をすれば自然に<強度>を感じると思うのだが、婚活は恋愛と違って<強度>の要素が最初から少ないのだろう。
ともかく結婚は非合理な動機、相手に感じる<強度>がなければうまくいかないだろう*1。だから目的合理主義的な婚活は本質的にうまくいかない要素をもっている。同様に就活も本質的にうまくいかない要素をもっている。なぜなら企業文化という<全体性>への信仰は目的合理主義に反するから。
以上の指摘は例えば内田樹氏なんかもしている。より学問的には「婚活」という言葉を作った家族社会学者の山田昌弘氏(中央大)が指摘している(『結婚の社会学(1996))。


以前のエントリ(「現代日本の生きづらさの根本的な原因は何か?」)で書いた次の文も合理主義と結婚の相性の悪さを入替え可能性という観点から指摘したもの。

例えば、恋愛で「この人だけ」と思えず、別れそうな雰囲気になると次の相手を確保しておく。これは合理的な行動だ。しかし互いにこれをやってしまうといつまでも入替え不可能な相手(「あなただけ」)を見つけることができない。互いに入替え可能な恋愛(その先の結婚)に耐えられる人は少ないだろう。

3.前提としての近代の問題が解決していないのに目的合理主義が蔓延しているのでどうしようもない

このブログでは今まで目的合理主義よりもむしろ「過剰な合理主義による非合理」や<強度>を求める非合理な行動に数多く言及してきた。それは目的合理的な近代社会というのは前提であって、後期近代において近代化・合理化の波によって隅っこに追いやられた非合理の領域が重要になってくるという趣旨だった。
しかし、日本は後期近代の前提であるはずの近代化が未達成という近代の問題がある。これが例えば昨日のエントリでの主張だった。つまり基本は近代合理主義で目的合理主義を使いこなすのはスタートラインとして必要。でも当然それだけじゃうまくいかないので非合理の領域をどうするか(<全体性>への信仰をどうやって獲得するか)を考えなきゃいけないということだ(社会的ジレンマの解決)。
それなのに、この番組でフラれた女性や昨日のエントリの飲酒運転でっち上げ警官のように必要なところで目的合理主義が使えず、使っちゃいけないところで目的合理主義を使ってしまう前近代人が多数いる状況なので、まだまだ上のスタートラインに立つレベルでもないということだろう。


まず目的合理主義の使いどころをわきまえるくらいの知恵をもってスタートラインに立って、次に結婚について目的合理主義を使うなら結婚相手から<強度>を得る目的のために合理的な手段を選ぶくらいの知恵が必要だろう。


今までは人々はそんなに結婚を合理的に考えず自然に情動を使って結婚してたんだろう。しかし近代化が進み、"幻滅のメディア"であるインターネットが普及したこともあり、男女ともに結婚をより目的合理的に考えるようになっているのではないか。
「どうせ男女の愛情は冷めるんだ。それならせめてカネを確保しよう。少しでもいい条件の相手を見つけたい」みたいな。就活の「仕事はどうせ詰まらないんだ。それならせめてラクな仕事を確保しよう。少しでもいい条件の会社を見つけたい」と同じ。その目的合理主義が逆に失敗を招くことも知らずに。
見方を変えれば、彼らの目的合理主義が中途半端なのが悪い。どうせ目的合理主義なら<強度>をコントロールするくらいの目的合理主義が必要だ。


次の2ちゃんねらーのレスはフラれた女性の浅はかな目的合理主義をあざ笑っているのかもしれない。

ざまあwwwwwwwwwwwwwwwwwww

見透かされてんだよwwww

「他人の振り見て我が振り直せ」で、中途半端に合理主義的に行動して相手に見透かされないよう注意しましょう(自戒も込めて)。

*1:「みんなうまくいってないんだから、うまくいかなくてもいいじゃん」という立場は一つの立場としてありだが。