マイケル・サンデル著、小林正弥監訳『民主政の不満(下)』

以前のエントリで上巻の読書メモを載せたので、ついでに下巻も載せておく。本書を読んで分かるのはアメリカ史を通じて共和主義(≒コミュニタリアニズム)とリベラリズムの争いが続いていたこと。そしてどの局面でもリベラリズムが勝利したこと。

マイケル・サンデル著、小林正弥監訳『民主政の不満(下)』(1996)早川書房 ★★★

上巻の続き。上巻はアメリ憲法史にそって共和主義がリベラリズムに取って代わられた様子を描いていた。この下巻ではアメリカ政治・経済史にそってやはり共和主義がリベラリズムに取って代わられた様子を描いている。読んだ印象は「冗長」「悪くないけど、大してよくない」というもの。上巻の方がおもしろかった。監訳者が小林氏だけになっている。邦訳は2011年。


本書の主張は<アメリカ政治・経済史に次のことが表れている。建国当初の共通善を重視する共和主義が失われていき、代わりに経済成長または再分配(による平等)をうたうリベラリズムが支配的になった>。ここでリベラリズムとは、例えば、ケインズ経済学。いつ移行したのか。20世紀初頭に契約の自由など変化が表れ、1930年代に消費者主義が優勢になり、1960年代に至って移行が完了した。

【第5章】
経済政策は現在では経済成長につながるか又は再分配につながるかで評価される。しかし、建国当初は人々の自己統治・美徳の涵養に資するかという共和主義により評価された。

●合衆国憲法
18世紀末の時点で既に美徳は失われていると考えられていた。商業の発達のため。憲法の起草者たちは人々に美徳を期待するのは無理だと考えた。そこでジェームズ・マディソンは美徳を備えた代表者が政府をつくることで共和主義を維持しようとした。よって、憲法にその手段である代表制を取り入れた。

●財政
憲法批准(1789年)後、財政論争が起こった。賛成派(アレクサンダー・ハミルトンら)は財政により連邦政府の基盤を強化しようとした。そのために公債の発行、貨幣の発行、中央銀行設立を提案した。反対派(トマス・ジェファソンら)は共和主義に基づき、<財産をもつ一部の者が金融によってより豊かになり労働の美徳が失われる>と反対した。しかし賛成派も共和主義だった。なぜなら<強力な財政基盤がなければ美徳の荒廃の原因である無産階級の増大を止めることができない>と考えていたため。ハミルトンもジェファソンも経済は政治に従属すると考えていた。ハミルトンは共和主義という目的も今や財政といった近代的な手段によってしか達成できないと考えた。

●工業か農業か
工業化を進めるか?という問題。
工業化の反対派(マディソンら)は<工業は自己統治に反する。工業ではなく農業を維持すべきだ>と共和主義に基づき主張した。しかし、賛成派(ハミルトンら)も共和主義だった。なぜなら、必需品を生産する国内工業を発展させて、外国からの輸入を断つことで、外国からの嗜好品の輸入も断つ。これにより人々の美徳の荒廃を防ごうとしたから。背景にはイギリスとの対立がある。当時イギリス製品の不買運動などがあった。

アンドリュー・ジャクソン
ジャクソン大統領はマディソンのように代表制で共和主義を維持できるとは考えなかった。「議会はすぐ党派的な利害を争う場になってしまう」と考えた。そこで小さな政府を主張した。少数の政治家が利己的な目的に転じるのを監視できるように。このように小さな政府は、経済成長のためではなく共和主義のためだった。

【第6章】
●賃労働

賃労働は自由に反するか?という問題。
共和主義:賃労働は自由に反する。自己統治に反するので。美徳を失わせるので。卑屈になるということ。また、<賃金労働者は奴隷と同じだ>という考え方も。
リベラリズム:賃労働も雇用者と労働者が自由意思に基づいて契約している限り、自由。ロックナー時代の最高裁はこちらの立場。
リンカーンは<一生賃労働であれば奴隷と同じ。しかし自分のように賃労働から自由労働に移れる>と考えた。南北戦争で勝利し、奴隷を解放したが、賃労働からの脱出は実現できなかった。産業の大規模化が起きたため。戦争後の1870年には人口の2/3が賃金労働者になった。

労働組合

金メッキ時代(金ぴか時代)に労働運動が盛んになった。その頃の労働運動は共和主義に基づく。賃労働は自己統治に反すると主張した。一部の労働運動が目指した産業公有化(?)と1日8時間労働は労働者による自己統治が目的。余暇に政治参加したり美徳を養えるから。しかし、20世紀に入ると、労組も賃労働は自由意思に基づく限り自由だと認めるようになった。それでも20世紀初頭には<政府は価値中立でなければならない>という考え方はなかった。

【第7章】
●消費者主義

消費者主義はリベラリズム。20世紀初頭に登場した。消費者主義は自己統治や美徳より消費者の効用(消費者余剰)最大化を目指す。そこで経済成長と再分配を問題にした。また、消費者主義は消費者のそのままの選好を尊重する。これは自己統治を目指す共和主義から価値中立をうたうリベラリズムへの移行を表す。

●反チェーンストア運動

1920年代に始まり、30年代にピークを迎え、その後すぐ消滅した。反チェーンストア運動は当初、共和主義に基づくものだった。チェーンストアが個人自営業者を衰退させ、共同体を破壊するというのがその根拠。チェーンストアは自分たちは消費者余剰の最大化に貢献していると反論した。

●反トラスト法

反トラスト法も当初、共和主義に基づくものだった。
ウッドロー・ウィルソン大統領はトラストを解体し、労働者を賃労働から解放し、自己統治を目指した。セオドア・ルーズベルト大統領は大企業は不可避と認めた。しかし、大企業を規制できるような強力な権限を政府に持たせようとした。両者は大統領選(1912年)で対決したが、共和主義という点では共通していた。
1914年から反トラスト法は弱まったが、1930年代後半に復活した。しかし、その時には共和主義ではなく消費者主義に基づくものになっていた。反トラスト法は価格を下げさせ消費者余剰を最大化するための法だとされた。
レーガン政権時代になると<反トラスト法の目的は市場の効率性だ>とされた。余剰が消費者に分配されるか生産者に分配されるかは分からない。
今の独禁法的にはこれだろう。経済学的にもこれだろう。

【第8章】
ニューディール

初期にはフランクリン・ルーズベルト大統領は伝統的な反トラスト法の運用を行った(大企業に対し強力な規制)。しかし、成果は上がらなかった。ルーズベルトは元々財政均衡を主張しており、ケインズに会って話を聞いても興味を示さなかった。しかし、反トラスト法が失敗し、しぶしぶケインズの財政政策を採用した。

ケインズ経済学

ケインズ経済学はリベラリズム。なぜなら経済成長・完全雇用を達成すると主張したため、価値に対するリベラル/保守や企業/労働者の対立が収まったから。それぞれが成長した経済のもと自己の目指す価値を実現しようとした(例えば、生活保護、労働者の地位向上)。ケインズ経済学は、その後、60年代末まで採用された。
ケインズ経済学は共和主義の生産を重視する考え方から消費を重視する考え方への転換を示す。共和主義にとって消費は堕落を意味していた。一方、ケインズ経済学は人々の消費を奨励した。「人々は消費により自己実現をすればいい」とする考え方が登場した。

【第9章】

福祉国家

再分配を行うべきか?という問題。
賛成派(リンドン・ジョンソンら)は、社会保障があってこそ個人は自由になれると主張した。反対派(ミルトン・フリードマンら)は社会保障は国家による強制であり自由に反すると主張した。どちらもリベラリズムに基づいている。ジョン・ロールズ『正義論』(1971)でリベラリズムに基づく再分配の正当化を行った。

ロバート・ケネディ

ロバート・ケネディだけが、第二次世界大戦後、共和主義に基づいてコミュニティの復活を主張した。福祉国家さえ人々の自己統治にはつながらないと考えた。国家では大きすぎてコミュニティにならないためだ。ジョンソンら福祉国家賛成派は国家がコミュニティになると考えていた。

ロナルド・レーガン

レーガンは経済的自由を拡大したが、文化的自由を制約した。例えば、フェミニズム、中絶、同性愛、ポルノ、ロックを規制しようとした。これらがアメリカの家族・コミュニティ・宗教・愛郷心に反するため。
そう、自分は「結局、サンデルの主張もレーガンのような文化的自由の制約につながるじゃないか」という印象をもっていた。サンデルがどうやってレーガンを否定するのか楽しみに読んでいたら次のような方法だった。確かにレーガンは共同体を復活させようとした。しかし、同時に経済的自由を拡大したため、大企業が自由に活動するため共同体を破壊するのを許した。「何だよ。じゃあ、結局、経済的自由も文化的自由もどっちも制約するんでしょ。やっぱり全体主義じゃん」という話。

本書には共和主義は全体主義だということを表す一文がある。

全体のより大きな善のために個々人の利益を犠牲にすることが、共和主義の本質を形作っており(p.6)

【結論】

いつもどおり大した結論はない。まずリベラリズムから共和主義への批判を紹介。<価値観の押し付けになる>というもの。あと、いつも通りリベラリズムへの批判も。<価値中立はウソだ>とか<政治参加を調達できない>とか。
共和主義への批判に対しルソーのような思想であれば押し付けのおそれがあると認める。しかしトクヴィルのような思想であれば押付けにならないとする。どんな思想なのか。<人々が複数の共同体に多重に帰属する>という思想だという。そのような多重的な共同体で議論をするそうだ。

進歩的な観点から美徳や人格形成、道徳など共和主義的なテーマについて議論を行うことが必要である。(p.295)

「議論してその先どうすんの?」といういつもの批判が成り立つ。結局、価値観の違う共同体同士が共生するというリベラリズムなんでしょ。
「それ以外の方法はうまくいかないだろう」とも言う。例えば、個人商店を守るためチェーン店に対して反対運動をする草の根の共同体主義とか、反対に環境運動のようなコスモポリタニズムとか。

【解説】

コミュニタリアニズムが右でも左でもないと述べている。なぜなら市場主義を批判するので右ではない。一方で愛国心など道徳的判断を重視するので左でもない。
何を言っているんだ。経済的自由も文化的自由も否定する全体主義だろう。

【あとがき】

上巻の翻訳が優れているとすると金原氏のおかげだと書いている。

【参照文献】

ジェームズ・マディソン『ザ・フェデラリスト
ジョン・デューイ『公衆とその諸問題』
ジョン・メイナード・ケインズ雇用・利子および貨幣の一般理論
ジョン・ケネス・ガルブレイス『豊かな社会』
マイケル・ウォルツァー『正義の領分』
ジョン・ロールズ『正義論』
ロバート・ノージックアナーキー・国家・ユートピア
アリストテレス政治学
アレクシス・ド・トクヴィルアメリカのデモクラシー』

民主政の不満 下―公共哲学を求めるアメリカ

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