吉川洋『いまこそ、ケインズとシュンペーターに学べ』
昨日のエントリで紹介した本書の読書メモを載せておこうと思う。
吉川洋『いまこそ、ケインズとシュンペーターに学べ』(2009)ダイヤモンド社 ★★★★
本書はダイヤモンド社の広報誌での連載を基にしたもの。タイトルどおり、ケインズとシュンペーターの比較をしながら、二人の著作を時系列にそって追っていく内容。
【概要】
ケインズとシュンペーターの共通点は「需要は飽和する」という認識。ケインズの有効需要の原理に現れている。ただ需要の飽和への対応が異なる。シュンペーターは需要の飽和を突破するのがイノベーションだと考えた。ケインズは経済政策によって解決しようとした。
●ハーヴェイ・ロードの公準
財政・金融政策を立案する官僚は、優れた知性の持ち主でなければならないはずだ。ハーヴェイ・ロードに住んでいるような知的エリートはそうした条件を満たしている。(p.7)
このような俗説は誤り。
もともと「ハーヴェイ・ロードの公準」という表現は、有名なロイ・ハロッド[・・・]による『ケインズ伝』[・・・]のなかで最初に使われたものだが、そこではヴィクトリア朝の下でのイギリスの中・上流階級のエトス(道徳的な慣習や雰囲気)などを表すものとして用いられている。(p.8)
●シュンペーター『理論経済学の本質と主要内容』(1908)
オーストラリア学派のカール・メンガーらは物の価格は限界効用で決まるとした。消費財は消費者が享受する限界効用。投資財はその分消費財を我慢することになるのでやはり消費財の限界効用で決まる。問題は投資財は現在の消費を犠牲にして将来の消費を得ることなので、現在と将来の効用を比較しなければならないこと。ウィーン大学でメンガーの弟子ベーム=バヴェルクに学んだシュンペーターの処女作『理論経済学の本質と主要内容』も主にこの問題を論じた。
●ケインズ『インドの通貨と金融』(1913)
銀の価格が金の価格に対し半分に下落した。銀本位制をとっていたインドは金本位制に移行しようとした。
ケインズはマネーサプライの硬直性をもたらすとして金本位制を批判した。
●ケインズ『平和の経済的帰結』(1919)
ヴェルサイユ条約はドイツに80億ポンドの賠償金を課していたが、ケインズはドイツの経済収支から賠償可能な額は20億ポンドであると推計した。
●シュンペーター『経済発展の理論』(1912)
シュンペーターの主著。
この本の目的は基本的に「静態的」な既存の均衡理論に対して、自らのうちに変化のエネルギーをはらむ「発展」する経済理論を打ち立てることにあった。(p.49)
日本語版への序文より。
ワルラスから自分[シュンペーター]は最も大きな影響を受けたと言っている。しかしシュンペーターは、一般均衡理論は本質的に静学であり静態的プロセスにしか適用できないと喝破した。ここでシュンペーターのいう「静態的プロセス」とは、システムの内部から内生的に生み出される力によって変化することはなく、単に外部からの力に反応することによってのみ変化するようなプロセスである。(p.43)
序文にはさらにシュンペーターが1909年、ローザンヌにワルラスを訪ねた時のワルラスの言葉もあるそうだ。
経済というものは基本的に受身のものであり、外から与えられた自然的・社会的変化への適応にすぎない。したがって、すべての経済理論は静態的プロセスに関する理論にほかならない。経済理論は経済システムに加わる外力、つまり歴史的な変化を生み出す要因については何ら語る資格はない。(p.44)
これに対してシュンペーターはイノベーションを内生変数とする動学モデル(景気循環理論)を構築しようとしたということ。p.51参照。本書ではイノベーションという語はまだ登場せず「新結合」と呼ばれているが。
●イノベーションの先行研究
ドイツ歴史学派のヴェルナー・ゾンバルトが1909年に既にこう書いている。
(企業家というのは)新しい生産方式、輸送手段あるいは流通を生み出し、新たな市場を発見する人、征服者であり組織する人間なのである。(p.52)
ここでマックス・ウェーバーの盟友ゾンバルトが出てくるとは。ゾンバルトは『恋愛と贅沢と資本主義』(1912)で消費社会論のようなことも書いているそうだし実はスゴいんじゃないだろうか。
●企業者(家)
イノベーションの主体。
「企業者」という概念そのものはワルラスの『純粋経済学要論』(1874年)からとられた。(p.55)
企業者は単に企業の経営者ではない。
シュンペーターは[・・・]ルーティン的な事務処理をしているだけの経営者は「企業者」ではない、と言うのである。(p.55)
●なぜ企業者は新結合を行うのか?
彼らはけっして経済的利得、金銭を求めて新結合を遂行するわけではない。(p.56)
企業者の動機はニーチェ的な動機。シュンペーターが挙げるのは「自己の王朝を建設しようとする夢想と意志」「勝利への意志」「創造の喜び」。
●利子はどこから来るか?
利子は結局企業者利潤から流出しなければならないのである。(p.58)
●なぜ好況があるのか?
イノベーションが群生的に起きるため。なぜ群生的に起きるのか。
「一人あるいは数人の企業者の出現が他の企業者の出現を、またこれがさらにそれ以上のますます多数の企業者の出現を容易にする」(p.59)ため。外部性があるということ。この議論はマーシャルに近いな。
●なぜ不況があるのか?
不況とはイノベーションによって均衡が崩れた状態から新たな均衡に戻る調整過程。よって必然的に起きる。好況が大きいほど不均衡が大きいので均衡に戻るための不況も長くなる。例えば好況期にイノベーションが起きるほど「会計上はいまだ償却されていなくても、既存設備の経済的陳腐化が進む」(p.186)ので不況期に資本の稼働率が低下する。
吉川氏はシュンペーターは「不況はどうしようもない」と言ったのでマクロ経済学としては人気がないのだろうと言う。
イノベーションについていけない人たちが失業する。
シュンペーターのイノベーション理論は基本的に実物。貨幣は二次的とみなされる。利子率は実体経済に大きな影響は与えないとした。
利子率はあくまでもイノベーションの「結果」として生まれる実物的変数なのである。(p.124)
●ケインズ『貨幣改革論』(1923)
金本位制の下では金融政策の目的は為替レートの安定だった。ケインズはこの常識に挑戦した。ケインズは物価(と雇用)の安定を目的に中央銀行が金融政策でハイパワードマネーを調整すべきと主張した。
本書は全体を通して物価がテーマ。
●一次大戦後のインフレ
1913年と1920年の卸売物価を比較するとイギリスは3倍、フランスは5倍、ドイツは15倍。コンソル債の実質価格は(1914年を100として)1815年に61、1896年にピークの139、1922年は62となった。つまりヨーロッパの貴族層は19世紀100年間の利益を一次大戦後にはすべて失っていた。
●ケインズ『貨幣論』(1930)
景気循環理論としては失敗策。
●物価変動の原因は何か?
貨幣数量説はマネーサプライ重視。ケインズはこれを否定し投資を重視した。ケインズは貨幣数量説の反証として大不況(1873-1896)を挙げた。物価の下落とマネーサプライの増大が同時に起きた。
●ケインズ『雇用・利子・貨幣の一般理論』(1936)
吉川氏はよく投資は「暴れ馬」と書いているが、そういう意図か。
シュンペーターは一般理論が「生産関数を不変」と仮定している点を最も批判した。イノベーションがあれば生産関数が変わるからだろう。
[この]仮定は、戦後ケネス・アローやジェラール・ドブリューはじめノーベル賞を受賞した数理経済学者たちによって彫琢されたワルラスの一般均衡理論にも当てはまる非現実的な仮定だ。(p.159)
その通りだと思う。
●失業
アーサー・セシル・ピグーら新古典派は賃金が下がって失業は解消されると主張した。それに対しケインズは賃金は下方硬直性があるので失業はなくならないと批判した。また仮に賃金が引き下げられても「流動性の罠」に陥れば利子率は下がらないと批判した。仮に利子率が下がっても人びとが「デフレ期待」をもっている場合投資が増大しないと批判した。
●有効需要の原理
バーナード・マンデヴィル(1670-1733)の『蜂の寓話』が最初に提唱したとされる。19世紀にマンデヴィルを再発見したのがロバート・マルサス。マルサスは人口増加だけでなく人口減少による有効需要不足による失業の問題を指摘していた。
●乗数効果
ケインズの弟子リチャード・カーンによって考案された。
●シュンペーター『資本主義・社会主義・民主主義』(1942)
大部分が社会主義について。本書の主張は<資本主義は企業家が消滅することにより自壊する>。合理主義の拡大により企業家に必要なニーチェ的動機が失われるため。
例えば、経営と所有の分離は「『所有者が自分の工場およびその支配のために、経済的、肉体的、あるいは政治的にたたかい、必要とあらばそれを枕に討ち死にしようとするほどの意志を失った』ことを意味する。」(p.228)
生身の人間としての企業家自身が、資本主義の発展に伴い自らの「効用」を最大化する「普通の人」に変質してしまう。[・・・]子どもを産み育てるコストを冷静に計算し始めたとたんに少子化が始まる。シュンペーターは、企業家精神の衰えを示す兆候として少子化の進展を挙げるのである!(p.299)
【その他】
●ケインズの現実への影響力
経済学の世界ではケインズ離れが進んだのだが、現実のマクロ経済政策、とりわけ金融政策が今日に到るまでケインズ的な裁量政策から離れたことは一度もない。(p.264)
●数学的方法
数学に強いケインズが経済学における数学的方法を否定したのに対して、数学的方法に生涯憧れを持っていたと思われるシュンペーターが数学に弱かったという事実は、アイロニーであった。(p.19)
●マルクスの経済学
マルクスの経済学は大筋においてはリカードの経済学をごてごてとしたヘーゲル的な言辞で塗り固めたのもにすぎないが、しかしただ一点「経済の進化」という概念を導入したことはマルクスの大きな功績だとシュンペーターは言っている。(p.45)
経済が「不完全雇用」にあるときにはケインズ経済学の教えるように、財政・金融政策を用いてマクロ経済の安定化に努めよ。ひとたび完全雇用が達成されたら今度は新古典派理論に従い資源配分の効率化を図れ。これが「新古典派総合」の考え方だった。(p.262)
●購買力平価理論
購買力平価理論を同時期に完成させたのはスウェーデンのグスタフ・カッセルとケインズ。
購買力平価は貿易財について一物一価を成り立たせる為替レート。生活水準を表すため貿易財と非貿易財を加重平均した一般物価水準を釣り合わせる為替レートを用いなければならない。
●貨幣数量説
MV=PQ。Mはマネーサプライ。Vは貨幣の流通速度。Pは一般物価水準。Qは実体の取引量。
貨幣数量説によればマネーサプライが二倍になれば物価も二倍になる。
貨幣数量説は「実体的な経済規模の成長[・・・]と比べて貨幣数量の伸びが過少であることがデフレの根本的原因である」(p.101)と主張する。
●リアル・ビジネス・サイクル理論
リアル・ビジネス・サイクル理論[・・・]と称される有体に言うならば「妄想」だが[・・・](p.v)
ホントに吉川氏は新古典派マクロが嫌いなんだなぁ。
●70年代以降のマクロのミクロ的基礎付け
「すべての企業は同質である」(対称均衡)と仮定している。よってシュンペーターの理論とは似ても似つかない。
「対称均衡」を仮定するこうした理論モデルは、所詮理論化の知的遊戯にすぎない。内生的成長モデルの多くが「イノベーション」をキーワードとし「シュンペーター的成長理論」までが提唱されていることには、墓の中でシュンペーターも苦笑せざるを得ないだろう。(p.183)
経済学は今や壮大な知的遊戯としての「経済学学」になってしまったように思えることもある。そうたなかでわれわれが現実の経済と向き合うとき、力強い知的源泉となるのがケインズとシュンペーターの経済学なのである。(p.270)
●構造改革とは何か?
創造的破壊を通して労働や資本など経済資源は成長分野に流れていく。こうした資源の移動は基本的には市場を通じて行われる。市場の障害物や成長を抑制するものを取り除く。[・・・]こうしたことを通して経済資源が速やかに成長分野に流れていくようにすること(p.254)
【参照文献】
ロイ・ハロッド『ケインズ伝』
ポール・クルーグマン『クルーグマン教授の<ニッポン>経済入門』
森嶋通夫『思想としての近代経済学』
根井雅弘『ケインズとシュンペーター』『シュンペーター』
伊東光晴『ケインズ』
伊東光晴・根井雅弘『シュンペーター』(読書メモ)
【関連エントリ】
- ケインズ学会編、平井俊顕監修『危機の中でケインズから学ぶ』 ※吉川氏が共著者の一人
いまこそ、ケインズとシュンペーターに学べ―有効需要とイノベーションの経済学
- 作者: 吉川洋
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