ケインズとシュンペーター

以前のエントリケインズガルブレイスは消費者主権という点で交錯するがそこはリベラリズムの難問ということを書いた。
今回はジョン・メイナード・ケインズ(1883-1946)とヨーゼフ・アロイス・シュンペーター(1883-1950)について両者はニーチェ的動機(シュンペーターの「企業者精神」、ケインズの「血気」)という点で交錯するが、ニーチェ的動機の喪失は近代化の必然でありそこは難問という話。


この二人を直接のテーマにした本として自分が読んだことがあるのは吉川洋『いまこそ、ケインズシュンペーターに学べ』(2009)(読書メモ)と根井雅弘『ケインズシュンペーター(2007)である。
どちらが優れているかといえば吉川氏に軍配を上げる。なぜなら根井氏は経済思想史の研究者なので、その著書も両者の紹介に過ぎない。一方、吉川氏はマクロ経済学者でありその著書には吉川氏独自の主張が含まれているためである。では独自の主張とは何か。それはケインズシュンペーターの主張を統合したものといえる。


吉川氏によれば、ケインズシュンペーターの共通点は「需要は飽和する」という認識。ただ、その後が異なる。ケインズは需要の飽和に対し「財政・金融政策で対処すべき」と主張した。シュンペーターは「次のイノベーションが生まれ景気が回復するまで待つしかない」と主張した。この違いはケインズは短期・需要を重視し、シュンペーターは長期・供給を重視するという違いでもある。実際、シュンペーターケインズの『一般理論』を短期の理論に過ぎないと批判している。つまり生産関数が一定でその変化、すなわちイノベーションを考慮していないと批判した。


吉川氏はこれらの共通点・相違点を踏まえて<需要を生み出すようなイノベーションが需要と投資の好循環を起こし、それによってはじめて持続的経済成長が可能になる>と主張している。これは<イノベーションが需要を生む>という考え方でケインズシュンペーターを統合したものといえる。この考え方は経営学の立場からすればごく当たり前のことだが経済学ではそうでもないようだ。またケインズを短期ではなく長期の理論ととらえている点も一般的な理解とは異なる。ただしポストケインジアンにはこの理解を採用する者もいるそうだ(根井雅弘『物語 現代経済学』(2006))。


この吉川氏の考え方が持続的経済成長、例えば、日本の高度成長を説明するのに、私にはもっとも説得的に思える。以前のエントリで「失われた20年」の原因について書いたが、それはこの吉川氏の考え方に基づいている。またタイラー・コーエン『大停滞』(2011)も同じ考え方で整合的に読めるのではないかと思う。


以上のように考えても結局は「経済成長にはイノベーションが必要だね」という誰でも分かってるけど意味のない結論に行き着いただけだった。イノベーションは経済学にとって(難問というより)分からないので放って置かれているブラックスボックス的存在のような気がする。イノベーションの経済学はシュンペーターの直感で創られた経済学なので誰も後を継げないということでもあるだろう。一方、モデルによる分析は経済学の科学化をもたらすので後継者が少しずつ発展させることができる。やはり直感と分析の両方が必要だ。そして最後は科学(分析)が勝つだろう。ケインズが「20世紀最大の経済学者」と呼ばれる根底には直感と分析が一応両方揃ったというスゴさがあるのだろう。


また「イノベーションが必要」といっても、シュンペーター『資本主義・社会主義・民主主義』(1942)での予言を考えればイノベーションの枯渇が近代化という社会科学の根本問題から生じていると分かる。森嶋通夫氏によれば、シュンペーターは人びとがニーチェ的動機を失うことにより、企業者がいなくなり、イノベーションが枯渇し、資本主義は滅びると予言している(吉川氏も根井氏も森嶋氏を参照して同じことを言っている)。ここでニーチェ的動機というのはニーチェの「力への意志」と考えればいいだろう。この予言の根本にはマックス・ウェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(1905)の最後に出てくる「鉄の檻」の予言と同じ考えがある。それは社会システムの自律的な合理化は止まらないということ。よってイノベーションの枯渇問題は社会科学のどこにでも出てくる問題だ。例えば、森嶋通夫サッチャー時代のイギリス』(1988)はサッチャーの政治(新自由主義)は企業家の消滅という流れに逆らいウェーバー的な古典的資本主義を復活させる試みだったとする。また例えばフランシス・フクヤマ『歴史の終わり』(1992)も中心はヘーゲルの議論であり、民主主義の世界的な広まりによるニーチェ的動機の喪失を問題視したもの。


このニーチェ的動機(ケインズでいう血気(アニマルスピリット))が分析に馴染まないので、イノベーションブラックボックス扱いだったのだろう。それを何とかしようと行動経済学なんかが頑張っているけどまだまだというところか。問題は近代化そのものなのでとてつもなく大きい。

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