内田貴『民法改正』

2011年に出版された本を紹介するシリーズの43冊目。前回は福井健策『ビジネスパーソンのための契約の教科書』を紹介し法学の分野に入ったのでこれから数冊は法学モノを紹介しようかと。まず契約法つながりで本書を。
本書の著者は元東大教授、現法務省民法学者、内田貴氏。現在もっとも広く支持されている民法の教科書の著者。本書は内田氏初の新書。内容はもちろん民法について。ただしタイトルとなっている現在進行中の債権法(契約法)改正作業だけにとどまらない内容。
入門的な記載だけではないので、法学の知識ゼロで読むのは厳しいかもしれないが、それでも本自体は素晴らしい出来。43冊目にしてやっと2冊目の★5つ。なぜ素晴らしいと考えるかについては読書メモの構成の箇所を参照。

民法改正: 契約のルールが百年ぶりに変わる (ちくま新書)

民法改正: 契約のルールが百年ぶりに変わる (ちくま新書)

内田貴民法改正』(2011)筑摩書房 ★★★★★

久しぶりの内田貴氏。タイトルどおり民法改正について。内田氏の記念すべき初新書。読んだキッカケは大村敦志民法改正を考える』(2011)を読んだこと。この2冊は、著者の大村氏も内田氏も東大民法星野英一門下で、ともに民法改正に関わっていて(特に内田氏は民法改正推進の中心といえる)、その民法改正という同じテーマについて同じ時期に同じ新書という形式で書かれている。ということで比較すべきという条件が完全に揃っている。

ではどちらが優れているか。私は内田氏に軍配を上げたい。本書は素晴らしい出来。どう素晴らしいかは以下の大まかな構成を見れば分かってもらえるのではないか。

本書の大まかな構成は、まず「契約法改正は必要ない」という批判を紹介する(第1章)。それから契約法概説(第2章)。
次に第1章での批判に対し、「市場の拡大(グローバル化)は事実としてあるので契約法改正は必要だ」と反論する。それを根拠付けるために諸外国の契約法の成立の歴史を紹介する(第3章)。その中で市場の拡大が常に契約法の進展を支えていたことが示される。
続いて、日本契約法の歴史を紹介する(第4章)。その中で日本契約法が「分かりにくい」理由が示される。そこで、今回の民法改正は「分かりやすい」契約法を目指すとして、具体的な改正検討項目を紹介していく(第5章)。続けて諸外国の改正の流れ(契約法のグローバルスタンダード)について行くという観点から改正検討項目を紹介していく(第6章)。なぜなら市場がグローバル化しているから。
最後に民法改正のメリットを紹介し、改正の必要性を念押しして終える(第7章)。


これは新書としてはすごくキレイな構成だと思う。

このような構成に基づいて、本書は<民法改正は必要か?>という問いに<必要だ>と答える。その答えを適切な構成と正確な記述で根拠付けている。しかも、文章も読みやすい。さらにところどころ民法の本質(と思われるもの)を指摘する記述もあり参考になる。ということで★5つ。


以下、まず大村氏の本と比較した上で、章ごとに内容のメモを載せる。

大村敦志民法改正を考える』との比較】

※以前書いたエントリ「大村敦志氏と内田貴氏の民法改正本を比較する」の方が詳しいのでよければ参考に。このエントリは本読書メモのこの部分を拡げて書いたもの。


第一に、大村氏の方が理想的・学者らしく、内田氏の方が現実的・実務っぽいと言える。
何しろ大村氏は<市民社会(星野氏の最も強調する点)という理念に基づいて改正すべきだ>と主張しているくらいだ。それに対して内田氏は<現実を見れば、グローバル化した市場で日本も競争していかなければならないんだから民法改正は必要だ>という主張。もちろんすべて外国にあわせる必要もないし、契約法以外の市場の論理でない法分野は別だけどという留保付。
簡単に言えば、内田氏は実益重視で、大村氏がそれに待ったをかけていると言える。
この点ある意味二人の主張は対立している。しかし、どちらも民法をもっと<市民の法>にすべきという点では一致している。大村氏は契約という制度を市民が設計しやすくすべきと主張し、内田氏は市民に「分かりやすい」法にすべきと主張する。この対立してるような一致してるような関係が興味深い。

民法の透明性を高め、民法を市民のための法にするという理念(p.212)

第二に、本の内容としては大村氏の方が幅広く、内田氏の方が特化している。大村氏は契約法に留まらず民法(家族法)に留まらず私法全体の方向性(市民社会という方向)を論じている。内田氏の方はほぼ契約法のみ。
さらに大村氏は法律という面だけでなく、立法過程そのものも論じている点で視野が広い。実務家や利益集団の利害も論じている。
以上のような違いがあるが、それが直接評価に影響するわけではない。立場の違いなので。本の完成度としては内田氏の方が上ということ。

【第1章 民法改正不要論】
  1. 解釈で実務が回ってるんだから必要ない
  2. 会社法みたいに分かりにくい条文になる
  3. 契約書を作成し直すなどの法務コストがかかる

わかりにくさという点で会社法に負けていないのは、割賦販売法や特定商取引法です。(p.116)

新しい法律ほど分かりにくいという状況かと。

【第2章 契約法概説】

特にメモなし。

【第3章 諸外国の民法史】

フランス、ドイツなどの歴史を見ると、市場の拡大が統一された契約法を要請し民法がそれにこたえてきた。
内田氏は「市場が拡大する限り統一的な契約法への要請は留まることを知らないだろう」と述べている。これに対しては「契約法は各国固有の文化だ」というコミュニタリアン的な反対論が考えられる。これについて内田氏は「現在の契約法自体がヨーロッパで作られ輸出されたものだ」と述べている。

【第4章 日本の民法史】
●なぜ日本民法は書かれている内容が少ないのか?
  1. 条約改正を急いだため書く時間が足りなかった
  2. 日本社会が近代化の途中であり、変化に合わなくなるおそれがあった(解釈・判例で対応した)

梅謙次郎が研究者でないと意味が分からないと認めている。

●法社会化

1990年代以降、構造改革とともに「法化社会化」が進んだ。例えば、民訴法、民事再生法会社法、金商法、信託法などの改正。裁判員制度。法教育。
裁判員制度や法教育は法の民主化ともいえる。もう一つが事後から事前へという変化だろう。どちらにしろ国民に「分かりやすい」法が要請される。

【第5章 「分かりやすい」法】
●「分かりやすい」法とは何か?
  1. 読みやすい条文
  2. 規定の内容が条文に書かれている
●なぜ分かりやすい条文が書けないのか?

厳密さの追求が自己目的化し[ているから](p.117)

素人っぽいけれどわかりやすい文章は、立法技術の伝統に抵触することが多く、内閣法制局を通りません。(p.117)

「立法技術の伝統」とは下らない。いかにも官僚らしい伝統主義だ。そんな伝統に<全体性>を感じているのはお前らだけじゃないか?フェティシズムだ。

【第5・6章 具体的な改正検討項目】
●契約締結上の過失を明文化する。
●不実表示を明文化する

消費者契約法で不実告知が明文化されているが(4条)、それと不実表示を混同するのは誤りだと述べている。不実表示による取消は弱者保護に限らないため。
比較法的にも一般の契約で不実表示による取消は認められている。例えば、アメリカの契約法リステイトメントやオランダ民法。そもそも不実表示の法理は英米法に由来する。日本の判決でも「動機の錯誤が相手の提供した情報によってもたらされた場合には、要素の錯誤の要件さえ満たせば錯誤を認める」(p.133)ものがある。このように不実表示は消費者法の問題ではない。

債務不履行による損害賠償責任

これに過失責任主義を認めるのはドイツ民法だけ。ドイツ民法は英・仏に遅れた近代化を急速に進める目的で損害賠償を認める範囲を政策的に狭めた。日本ではドイツ法の影響を受けた学説が通説化し、条文には規定がないのに過失責任主義をとるようになった。現在の有力説は過失ではなく、当事者が条文にある不可抗力を想定していたかどうかで免責されるかを判断すべきとする。判決もこの考えに沿っている。「何を想定していたかなんて分からないから後で紛争のもとになる」と企業などは反発するが、常識で考えれば分かるはず、と内田氏は反論する。

消滅時効

なぜこのように職業や債権ごとに事細かな時効期間を定めなければならないのか、まったく理解できません。(p.152)

自分も最初に聞いたときに思った。「なんでこんなに細かく分けてんの?」
フランス民法が18世紀までの慣習を法典化したものを日本が真似たためだとのこと。内田氏は時効期間ももっと短縮すべきという。国際的には3〜5年が主流。例えばドイツ民法は原則として時効期間3年。商事債権の例外なし。

不法行為の損害賠償の20年(民724条後段)

時効期間にすべき。最高裁の補足意見でも改正を支持している。

●法定利率

現実の運用が不可能なほどの高い利率で利息が発生するのは不自然というほかありません。(p.167)

自分が初めて聞いた瞬間「アホくさっ」と思った民法の規定ナンバーワンがこれ。
やはりフランス等の民法を真似たためこうなった。何らかの指標に連動させて年1、2度改定すべき。高すぎる法定利率は交通事故の際の逸失利益の算定にとっても問題。中間利息が法定利率で控除されてしまい被害者に不利なので。

●約款

以下を導入すべき。

  1. 組入れ要件
  2. 不当条項規制

組入れ要件とは約款の条項が契約に組み入れられるための要件。要は条項が契約として有効になるための条件。
本書には説明なしにいきなり使われてるので、知らないと分からないだろう。
組入れ要件は「読んでもいない約款の条項になぜ拘束されなければいけないのか」という疑問に応える。よって約款の開示などを組入れ要件とすることが考えられる。
内田氏も出版社と契約の条項を変えてくれと交渉したら、「皆さんこれでやってるので先生だけ変えられません」と断られた。しかし内田氏は「よし、じゃあ、この条項に拘束されよう」とは思わなかったという。「万一訴訟になったらこの契約の有効性は争える」と考えたという。
法学者らしくておもしろい。いかにも講義中の雑談に使いそうなネタ。

●役務・サービス

役務契約の大部分が準委任なのに準委任の規定がほとんどないのが問題。例えば、委任における解除の規定を準用し無条件に解除を認めるべきではない。
これもまったく同感。

●事情変更の原則

要件は以下のとおり。

  1. 契約時に想定外だった事情変更が生じた
  2. 事情変更に当事者の帰責性がない
  3. 履行の強制が信義側に反する

事情変更の原則はドイツ民法、オランダ民法、ユニドロワなどに採用されており、国際的に確立している。
へぇ、最高裁も認めてないし、もっと例外的というイメージだった。日本が少数派なのか?

【第7章 契約法改正のメリット】
  1. 契約書作成などの法務コストが削減できる。分かりやすくなるので
  2. 国際契約で日本法を準拠法にすることができ企業にとって有利。法務コストやリスクを減らせる
  3. 契約法のグローバルスタンダード競争に負けると企業にとって不利。グローバルスタンダードが固まる前に主張していくべき。国際会計基準(IFRS)の失敗を繰り返してしまう
【その他】

経済学が価格で社会をモデル化するように法学は権利と義務で社会を表現し尽くそうとする。これは驚くべき壮大な構想。


意思主義は近代自由主義の表れの一つ。19世紀ドイツで精緻化された。

「同じものは同じに扱え」という原理に反することは、法の世界で最も嫌われる不正義だからです。(p.46)

自分の言葉で言うとダブルスタンダードだ。ダブルスタンダードについては電波利権など何度かこのブログで書いた。


リアリズム法学はドイツの自由法論の影響を受けている。自由法論者は裁判の結論の根拠は条文ではなく、法以外の考慮だと主張した。
その自由法論は概念法学への反発から生まれたわけで。ちゃんとつながっている。


法典論争の背後には司法省法学校がフランス法、東大が英米法を教えていたという構図がある。
東大出身者が法典化に反対したということか。


民法起草過程ではフランス法が参照されたが、その後日本の法学界ではドイツ法が中心となった。そこで条文と法解釈が乖離した。ドイツ法で当時の民法学会を席巻していた鳩山秀夫末弘厳太郎から「お前はドイツの法理論を日本語訳しているだけだ」と批判され、住み込み書生の我妻栄の手を取って涙を流した。
へぇー。アツい法学者エピソード。なお、鳩山秀夫は鳩山一郎の弟。鳩山由紀夫の大叔父になるのかな。


民法総則は原則だけにして、人は親族編、物は物権編、法律行為は債権編に移したほうがよい。

【参照文献】

久保利英明『法化社会へ日本が変わる』

【関連エントリ】

民法改正を考える (岩波新書)

民法改正を考える (岩波新書)