大村敦志『民法改正を考える』

2011年に出版された本を紹介するシリーズの44冊目。前回の内田貴『民法改正』と同じ民法改正というテーマで、同じ時期に、同じ新書で出版された本書を。なお、二冊を比較するエントリを以前に書いている(「大村敦志氏と内田貴氏の民法改正本を比較する」)。

民法改正を考える (岩波新書)

民法改正を考える (岩波新書)

大村敦志民法改正を考える』(2011)岩波書店 ★★★

いつもの大村敦志氏。本書は2010年に大村氏が東大の大学院で行った講義「民法改正」の講義ノートをもとにしたもの。本書の大まかな構成は導入(序章)、日本の民法改正の歴史(第1章)、諸外国の民法改正の歴史(第2章)、民法改正の目的・主体・手続(第3章)、民法をどう改正すべきか(第4章)。


本書は<民法をどう改正すべきか>という問いに対し<利益・不利益ではなく理念という観点で法改正を進めていくべき>と答えている。
では「理念」とは何か。大村氏のいう「理念」とは<市民社会をつくる>ということだ。これは大村氏が師匠の星野英一氏から受け継いだもので一貫した主張だ。今回は民法改正を題材に大村氏の考える市民社会論が垣間見える内容でよかった。それは制度を作る契約を規律する制度である契約法を中心に民法を改正していくべきだというもの。このような社会科学でいう制度論的なアプローチはよかった。
他にも法制審議会におけるアクターについて書いており、立法過程論としてよかった。また上記の利益・不利益と理念という立法における対立軸もよかった。

市民社会とは何か?

市民社会とは「自由・平等が保障された空間」(p.144)である。

重要なのは相互の対等性(自由・平等)の尊重と共同で行う規範の定立(自治)である。(p.149)

市民相互の自由・平等な関係を基礎として、それによって社会を組み立てていこうという考え方(p.144)

まあ、基本に忠実な考え方だろう。自分の言葉でいうと市民社会=近代社会だ。これだけ抽象的なレベルであればみんな同意するだろう。
じゃあ具体的にどう改正すべきかというと大村氏の答えは「制度を市民が作る社会」ということになりそうだ。これを債権法の言葉で表現すると「債権から契約へ」(p.160)ということになる。また家族法の観点からは家族制度を契約により当事者が作れるようにしていくことといえる。例えば養子、後見、夫婦別姓、同姓婚。

●制度論

債権は権利の発生・履行などを抽象的に考えていく。一方、契約は当事者が具体的に内容を定め、内容に基づいて考えていく。と同時に契約は完全な自由意思に基づく決定ではない。契約を補充する任意規定公序良俗など強行規定がある。このような制度を作る契約というものをさらに規律する制度が契約法である。よって契約法はメタ制度といえる。

「契約」が新しい「制度」を創り出すとすると、「契約法」はそのための「制度」(メタ制度)であると言える。(p.167)

【序論】

債権法改正だけではなく親族法改正や成年年齢引き下げについてもふれている。親族法の方は親権関係の規定が改正された(公布済・未施行)。成年年齢の方は憲法改正につながる可能性がある(国民投票法)という政治的理由で止まっている。
大村氏の上述の立場によれば、成年年齢を引き下げることは若者にも市民社会へのコミットメントを促すことなので引き下げるべきとなる。

●利益・不利益と理念の対立

成年年齢の引き下げが強力な支持を得られなかった最大の原因は、立法における「実益志向」の優越に求められるだろう。この立法がなされないと明らかに不利益が生じる、あるいは、この立法がなされると明らかに利益が生じる。どちらかであれば、その立法は実現に向かうことになる。ところが、成年年齢の引き下げがなされないことによって困っている人は少ない。また、引き下げがなされてもあまりいいことはなさそうである。そうなると、反対論ないし慎重論が優位を占めることになる。
しかし、議論されるべきことは、このような短期的な利益・不利益に尽きるのだろうか。もっと原理的に、すなわち理念のレベルで考える必要があるのではないか。賛成論はこのような観点から展開された[・・・](p.11)

実益志向は功利主義と言い換えられるだろう。この立法における実益志向と理念の対立は著作権法フェアユースについても言えそうだ。


民法はフランス語のCode Civil(「市民の法」)の訳語なのに、「民を統治する」というイメージがあるのでよくない。市民は自治を表し、法は国家が民を統治する道具ではなく普遍的な(=正義に適った)ルールを表す。
当たり前のようだけどいいこと言ってる。

【第1章】

日本の民法改正の歴史は民法0・1・2条<私>が生きるルール』(2007)とほぼ同様の内容。

民法改正の背後には常に市民運動があった。旧民法・明治民法には自由民権運動が、昭和民法アメリカによる戦後改革、現在の民法改正の背後にも1990〜2000年代の市民運動がある。一方、大正デモクラシー期と市民運動の盛んだった1960〜70年には対応する民法改正がない。後者については判例法の発展により対応したから。例えば公害問題。
90年代の市民運動が具体的に何を指すかよく分からない。

【第2章】

世界中の民法改正について論じている。専門的でいい内容だと思うが、自分にはスゴさが分からず「へぇ」っていう話が多い。例えばトルコ民法はスイス民法の継受だとか。

【第3章】
民法改正を主導するのはだれか?

<改正を主導するのは研究者であるべき>という主張が目を引く。
1.実務家
裁判官は主張すべき立場ではない。弁護士は改正に反対。なぜなら現行法に馴染んでいるから。
2.研究者
理念に基づいて改正を主導するのは研究者だけだから。

多種多様の矛盾する要請を調整するのも研究者の役割である。(p.119)

研究者は多様な意見を代表すべきである(p.131)

大村氏はあっさり言い切っているが本当にそうなんだろうか?
3.国民
関心が薄い。内容が技術的なので。
4.マスコミ

「(世論を自称する)メディアの声」があるのだと考えて、これを民法改正の担い手の一つとしてとらえた方がよいかもしれない。(p.120)

5.利益団体

積極的ではない。意見を述べる場合にも、自分たちの活動に影響が及ぶことのないようにしてほしいというものが多い。(p.131)

著作権法の場合、官僚と利益団体が審議会の運営を支配しているという印象だが(山田奨治『日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか』)、債権法改正は研究者中心でだいぶ雰囲気が違うようだ。

【第4章】

上にまとめた。

【参考・参照文献】※さすがに良書が多く挙がっている

星野英一民法のすすめ』
長谷部恭男『憲法とは何か』 ※良書
山口厚『刑法入門』 ※以前「新書モダン・クラシックス10選」に選んだ
芝原邦爾『経済刑法』
神田秀樹『会社法入門』 ※良書
森村進『自由はどこまで可能か』 ※以前「新書モダン・クラシックス10選」に選んだ
オッコー・ベーレンツ著、河上正二訳『歴史の中の民法
木庭顕『ローマ法案内』 ※名著
穂積陳重『法窓夜話』
大久保泰甫『ボワソナアド』

「民法0・1・2・3条」〈私〉が生きるルール [理想の教室]

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