中谷和弘、植木俊哉、河野真理子、森田彰夫、山本良『国際法[第2版]』

2011年に出版された本を紹介するシリーズの47冊目。前回の棟居快行、赤坂正浩、松井茂記、笹田栄司、常本照樹、市川正人『基本的人権の事件簿[第4版]』に続いて法学のテキストを。
本書は国際法の教科書。国際法の最初の一冊として読んだ。有斐閣アルマシリーズなだけあって知識ゼロの状態でもちゃんと読めるように書かれている。いい教科書かは分からないが。
教科書は内容をメモするような性格のものではない気がするので、普段はあまり取らないのだが、なぜか本書には読書メモを取っていた。

国際法 第2版 (有斐閣アルマ)

国際法 第2版 (有斐閣アルマ)

中谷和弘、植木俊哉、河野真理子、森田彰夫、山本良『国際法[第2版]』(2011)有斐閣 ★★★

小室直樹『新戦争論』や小室直樹色摩力夫『国民のための戦争と平和の法』で戦時国際法とやらが出てきたので、国際法の教科書を読んでみようと思い手にとった。本書は教科書として自分がいつも手始めに読む有斐閣アルマシリーズ。著者はみな東大出身のようだ。中谷氏は東大教授、植木氏は東北大教授、河野氏は早稲田大教授、森田氏は法政大教授、山本氏は埼玉大教授。全18章を4、5章ずつほぼ均等に分担して執筆している。
読んだ印象は「いつものアルマの教科書だな」というもの。執筆者が多いからか法律の性格か、まとまりがない印象を受けた。

国際法とは

国際法とは200という国家からなる"会員制クラブの会則"。国際法は主に条約と国際慣習法からなる。
国際法においては客観的な法の解釈・適用を行う(司法)制度がない。そこで各国に自力救済が認められている。
条約や国際慣習法どおりに解釈・適用が行われるわけではない。例えば、慣行によって改変されたり、法的安定性のために"人工的な"解釈をとる。
国連憲章などに主権平等の原則は定められているものの、国際社会においては各国の法の下の平等は成り立っていない。

国連の基本法国連憲章国連憲章国際法でもっとも重要な法とする説がある。

19世紀、欧米諸国から承認されていないアジア・アフリカの各国は"無主地"とされ、先占の対象であると考えられた。
植民地の正当化。

●国家免除

国家免除とは国家は他国の裁判権強制執行権に属さないという原則。
19世紀、国家と経済取引を行う私人にとって国家免除が弊害となった。そこで国家の主権的行為は免除されるが商業的行為は免除されないとする制限免除主義が現れた。免除されない例外として商業的行為のほかに雇用契約、人身損害・財産損害・知的財産権などがある。

●外交関係と領事関係

外交関係とは国家間の合意により常設使節団を交換する制度。国家間の協力、紛争の予防・解決を目的とする。領事関係とは、国家間の合意により自国民の利益の保護の任務に当たる領事機関を設置する制度。外交使節団は国家を代表するが、領事機関は国家を代表せず主として行政的な機能を担う。
外交使節団・領事機関には特権・免除が認められる。従来は治外法権と考えられていたが、現在は外交使節団の代表・領事機関の任務の円滑のために必要な範囲で特権・免除が認められると考えられている。外交使節団の特権・免除の方が広い。
外交官・領事官は派遣先国で危険に遭う可能性が高いため特権・免除は必要。一方、裁判権免除を利用して、外交官・領事官が派遣先国で犯罪を犯すこともある。例えば、日本では外交官などが自動車保険に加入していることを条件に外交ナンバープレートを配布している。イギリスは私人から外交官などへの民事請求に対し、イギリス政府が補償し、派遣国に求償している。

国家元首

国家元首とは国家を代表する者。多くの国では憲法上の地位に限られる。実質的な代表は政府の代表である首相。

●国連

国連はもともと「連合国の国際組織」。United Nationsという名称や旧敵国条項から分かる。これは小室氏が言っていたことだ。
国連の目的は

  • (1)平和
  • (2)人権
  • (3)国際問題の解決

国連総会は全加盟国の一国一票制。その決議は勧告的効力しかない。一方、安保理は5の常任理事国と10の非常任理事国。その決議は法的効力がある。安保理は目的(1)の平和を担う。

●領域権原

領域権原とは国家がある領域の権原を主張する根拠となる要件事実。

  • (1)発見
  • (2)先占
  • (3)取得時効
  • (4)添付(例えば埋め立て)
  • (5)割譲(例えば購入)

がある。(2)先占の要件は(a)無主地(b)平穏かつ実効的な占有(c)占有の意思である。
かつては(6)征服があったが現在は否定されている。


竹島は日本が1905年から実効的に占有している。韓国は無主地ではないと主張しているが、証拠を示していない。
尖閣諸島は日本が1895年から実効的に占有しているが、戦後米国占領下に入り、1972年沖縄の一部として日本に返還されたが、返還前の1969年に石油の埋蔵の可能性が指摘され、中国が領有権を主張した。日本はその際に抗議をしなかった。