郷原信郎『組織の思考が止まるとき』

2011年に出版された本を紹介するシリーズの50冊目。今回は今まで何度か言及してきた元検察官の郷原信郎氏(弁護士)の著書を。郷原氏の著書は検察批判ものとコンプライアンスものに大きく分かれるが本書は村井厚子氏の郵便不正事件を扱っており、検察のコンプライアンスものと言えそう。内容は過去の著書とかなり重複している。悪くはないけど。それもあってか形式面では記述が冗長な印象を受けた。

郷原信郎『組織の思考が止まるとき』(2011)毎日新聞社 ★★★

コンプライアンス革命』以来の郷原信郎氏。コンプライアンスもの。今回はその対象が検察(郵便不正事件)であり検察ものともいえる。郷原氏のコンプライアンスものは今まで『思考停止社会』、『「法令遵守」が日本を滅ぼす』、『コンプライアンス革命』と読んできたが、本書はほとんどの内容がこれらと重複している。副題が「『法令遵守』から『ルールの創造』へ」となっており<ルールを作る>に関心がある自分としては何か新しい話があるかと思ったら、新しい話は大したことのないものだった。


本書の主張は今までどおり<コンプライアンスは形式的な適法・違法ではなく法の趣旨(社会的要請)から実質的に考えるべき。問題が起きたときは起きた背景・構造から対策を検討すべき>というもの。結局、法と実態の乖離が起きているということは法が現実に合わなくなっているかそもそも法がおかしいということ。そのような法を思考停止し(=その趣旨を考えずに)ただ遵守すればいいというものではないということ。

【第1、2、5章 郵便不正事件】

ここが本書のメインの一つで量も多いが特にこれといった話はない。


郷原氏は今回の事件を受けて設置された法務大臣の諮問機関に参加している。

●なぜ郵便不正事件が起きたか?

事件の背景として郵便料金の価格の硬直性。
ごもっとも。ただ既に佐藤優魚住昭『誰が日本を支配するのか!?』郷原氏本人が言っていたのを読んでいた。

●検察の郵便不正事件への対応はなぜダメか?
  1. 前田検事の証拠隠滅という個人の問題と扱ったため
  2. 検察自身による内部調査だから

1.について、本当の問題は個人ではなく検察という組織の問題。冤罪を生み出すような検察の捜査・起訴の手法が問題。証拠隠滅は捜査・起訴という目的のための手段に過ぎない。捜査・起訴の手法を問題にするなら証拠隠滅罪ではなく特別公務員職権濫用罪(刑194条)のはず。証拠隠滅罪の趣旨は被疑者・被告人の家族が・関係者がかくまう行為を罰することなので法定刑も軽い(2年以下)。よって本件には合わない。
牧師がかくまった事件が信教の自由で出てくる神戸牧会事件だ。なお、親族特例もある。
2.は当たり前。

●なぜ検察はこのような対応をとったか?

刑事手続における検察の独立性を維持するため。
1.では起訴自体を問題にすると起訴を承認した検察上層部の判断まで問題にされる。
2.では外部に検察内部の判断について調査されたくない。
一言でいえば検察の組織防衛。

●ではどうすればいいか?
  1. 法務省による検察の監視を強化する
  2. 取調べ可視化

1.について、むしろ現在は法務省と検察が一体化している。経産省と電力会社みたいにいくらでも例がありそう。あとは法務大臣の指揮権(検察庁法14条)や造船疑獄の話など。

【第3章 コンプライアンス
●総論

日本とアメリカの比較。『コンプライアンス革命』と同じ話。
ただ法令を遵守すればいいのではなく社会的要請を考えろという話。
郷原氏の提案するコンプライアンスの解説。これも『コンプライアンス革命』と同じ。

●各論(1)官公庁

裏ガネ問題の背景は単年度予算主義。
これは『「法令遵守」が日本を滅ぼす』で読んだ。

公務員は法律に逆らえないので特に法律遵守だけではうまくいかないという話。その例として検察へ個人が情報開示請求をしてきた、それを形式的(法的)ではなく実質的に解決したという話。

社保庁年金改ざん事件の話。これは『思考停止社会』で読んだ。

●各論(2)医療

医療過誤問題について書いている。東京医科大の例が出てくる。本書には関係ないが山田風太郎氏の母校だ。
大学病院の医療過誤の背景として、大学病院では治療のほかに教育・研究が重視されるため、教授が病院の診療科長を兼務することが一般的。そして診療科は講座制の講座に対応しており、講座の長である教授に逆らえないことが挙げられている。なるほど。

●各論(3)メディア

テレビ局は放送法さえ遵守していれば視聴率競争をやっていてもいいと思考停止している。いつもの不二家事件の際の「朝ズバッ」の話とか。

●各論(4)証券市場

いつものライブドア事件村上ファンド事件。村上ファンド事件について包括的な罰則規定(旧証券取引法157条1項)を適用しなかった理由が『「法令遵守」が日本を滅ぼす』のときと違って罪刑法定主義になっている。これは変ではないか。だって条文があるんだから。まああまり気にしないけど。

【第4章 マスコミ対応】

問題が起きた場合のマスコミ対応について書いている。いつものサッカーのフォーメーションの話。
また不二家事件が出てくる。今回は不二家のマスコミ対応のマズさについて。どうマズいかというと次のような話。


消費期限切れ牛乳についてマスコミにもれたのは経営改革のために調査に入っていた社外コンサルタントの報告書が新聞社にFAXされたのがきっかけ。この報告書に「雪印の二の舞」など不二家が隠蔽しているような印象を与える文章があった。それを不二家が説明すればいいのにコンサルタント会社との報告書を第三者に開示しないという契約があるというのでマスコミに説明しなかった。
思考停止の契約遵守というところか。


不二家問題の本質は消費期限切れの牛乳自体ではない。そのような牛乳を「いつから使っていたのか」そして「今までどれだけ使ったか」という記録を残しておらず説明できなかったこと。
結局は情報開示の問題。

【終章 ルールを創る】

ルールと実態が乖離している場合はルールを創る(改める)ことを提案している。まあ当たり前。社内ルールであれば創れるが法律は無理なので、そういうときは「〜の場合は弊社は・・・という対応を取ります」と予め明示し社会の理解を得るべきとする。やっぱり情報開示。


情報開示ができていない業界として電力業界を挙げている。

日本の原発は、概して情報開示に消極的で、閉ざされた運営がしばしば社会からの批判を浴びてきた。[・・・]開示した情報が誤解を受けることを恐れ、最低限の情報しか開示しないというのが、かつての電力会社の姿勢だった。(p.257)

かつて?福島原発の例を見ても「情報が誤解される」ことを恐れるのは合理的だ。ただいつまでも情報開示をしないと結局情報を理解するリテラシーも育たないのでどこかで切り替えていく必要があるんじゃないか。

ここで終ればいいのに「郵便不正事件も経験知で防げた」といい始め、自分の体験談がいまさら始まる。本書はこういう冗長さが目立つ。

思考停止社会~「遵守」に蝕まれる日本 (講談社現代新書)

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