今週のお題「オススメのマンガ」真鍋昌平『闇金ウシジマくん』における近代的自我
- 作者: 真鍋昌平
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2004/07/30
- メディア: コミック
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●オススメする理由
オススメする理由は現代の日本人全員にとっての実存的問題を扱っているから。誰が読んでも"心に痛い"感覚が得られるのではないか。
その実存的問題とは何かというと本ブログでいつも取りあげる近代的自我の問題。自分の言葉では<意味と強度>の問題。
自分がマンガを評価するときの視点の一つは、そのマンガが近代的自我を描いているかどうか。近代的自我が描けていないということは前近代的マンガなので自分にとっては面白みに欠ける。いつも通り例外もあるが。鳥山明『ドラゴンボール』とか。
真鍋昌平『闇金ウシジマくん』は闇金のボスであるウシジマくんが形式的な主人公だが、実質的には主人公に取り立てられる債務者たちが主役といえる。この債務者たちがそれぞれの近代的自我の問題を抱えていて(抱えているのが当たり前なのだが)、このマンガはその問題をメインに扱っている点が素晴らしい。
●近代的自我の問題
この近代的自我の問題は、現在も哲学上の問題でカナダの哲学者チャールズ・テイラーなどが論じている。よって答えなんて出ない難しい問題だが、簡単に言ってしまえば自己実現の問題ともいえる。
前近代においては<意味>は外から与えられていた。一般人は共同体(例えば、中世のカトリックの教会)が与える物語(キリストの物語)を<意味>として受け容れ生きていた。「世界は全部神さまがこうやって作ったんだよ。だからこれこれしなさい」。
近代においては人びとは自分の「内なる声」にしたがって目的を定め、それを達成するという自己実現という<意味>を目指すようになる。このイデオロギーが今の日本でも広く受け入れられていることは同意が得られるだろう。この考え方はリベラルデモクラシーという近代社会の基本と相性がいい。例えば、日本国憲法は法律の範囲内で各人が自由に自己の目的を追求して幸福になればいいと(暗に)言っている(憲13条)。
ただ、この「自己実現→幸福」というスキームは非常に困難な道のりだろう。単に自分の描いた<物語>が実現できないという問題もあるし、仮に実現できたとして究極的に<世界>には<意味>がないので、「それで?」「だから何?」「そんなことして意味あるの?」という問いに答えることはできないためだ。よって今では「自己実現(近代的自我)なんて幻想だ」という近代批判が一般的だろう。その批判の先駆けがフリードリヒ・ニーチェであり、現代思想はニーチェの影響が大きいだろう。文学においても人生の無意味さを扱ったカミュ『異邦人』などはニーチェっぽい。そして<意味と強度>という概念も宮台真司氏によればネタモトはニーチェだという。
そんな感じで思想的には評判の悪い自己実現だが現実においては支配的なイデオロギーだ。人は<世界>に<意味>を求めることを止められないということ。自覚してるかはともかく誰もが同じなんじゃないか。上にも出てきたチャールズ・テイラーは哲学・宗教・文学は人生の無意味さに抗する試みであると述べている(『今日の宗教の諸相』(2001))。
●『闇金ウシジマくん』における近代的自我の問題
『ドラゴンボール』のような前近代的なマンガと本作がどう違うか。本作が描くような近代では各人が自己実現(<意味>)を追求するので各人の<意味>を通して見た<世界>と実際に存在していると思われる世界が一致しないということだ。もちろん各人の世界は<幻想>に過ぎず、実際の世界はこの世のすべてという一つしかないわけだが。
『ドラゴンボール』の登場人物たちは同じ一つの<世界>を共有している。その意味で前近代の人びとが与えられた一つの<世界>を共有していたのと同じだ。一方、本作においては各人が自分の<幻想>の<世界>をもっている。だからコミュニケーションは成り立たないし、互いが互いに「あいつはクズだ。オレの方が上だ」と見下しあっている。そして各人が現実を自分の<幻想>に合わせようとして失敗し挫折する。そして世界に<意味>(幻想)なんて存在しないんだ、と気づいて自暴自棄になる。そしてたいていは悪の道に走り、もっと怖い人に殺されたりする。または麻薬中毒になったりする。
『ドラゴンボール』の世界では登場人物の間で互いに「あいつはオレより強い。でもあいつはオレより下だ」という認識が共有されている。「戦闘能力」という数字でハッキリ表される。考えてみると恐ろしい世界だ。ともかくこの強さという序列に誰も異議を唱えない世界というのは前近代的だ。そこには各人の<幻想>による価値観の多様性もないし、世界の無意味さによる絶望もない。
『闇金ウシジマくん』の主役である債務者たちは近代的自我の問題を抱え自己実現を目指して挫折たり、人生の無意味さに絶望したりしている。この姿は自分を含め現代の日本人全員とほぼ同じと言えるだろう。主役は数回ごとに切り替わるが、今までの主役で自分のお気に入りは原宿で読者モデルを目指す若者2人。カリスマ読者モデルらしき目標とする人物がいて「俺もああなってやる!」」と意気込むが現実はショボショボで<幻想>との乖離に苦しむ姿がうまく描かれていた(と思う)。しかもその目標であるカリスマも裏ではカネに困って犯罪に手を出し最後はヤクザに殺されてしまう。この現実のショボさがいい感じ。
他の主役たちはデリヘル嬢とかMR(医薬メーカの医師相手の営業)とかタクシー運転手とか。最近ではホストとか。このマンガは繰り返し同じ近代的自我の問題を扱っている。
たいていの主役は二人組で、ともに自己実現(例えば、カリスマ読者モデル、トップ風俗嬢、ホストの売り上げナンバーワン)を目指すライバルだがいっしょ挫折し、二人のうち一人が人生の無意味さに絶望し悪の道に走り、もう一人を巻き込もうとするが、もう一人はなんとか踏みとどまり、無意味な人生に戻っていく。けど心は晴れやか。みたいな微妙なハッピーエンドのパターンが多い。一方で悪の道に走りもっと怖い人に殺されたり、行方不明になったり、麻薬中毒になったりバッドエンドを迎える登場人物も多いが。
こんなんで紹介になっているか分からないが、とてもよい出来なので一読をオススメする。特に最初の数巻が素晴らしい。
【関連エントリ】
- 哲学・宗教・文学は人生の無意味さに抗する試みである
- 現代日本の生きづらさの根本的な原因は何か?
- なぜ憲法で13条がもっとも重要なのか?
- アルベール・カミュ著、窪田啓作訳『異邦人』
- ティム・バートン『ビッグフィッシュ』 ※自分で<意味>を作り出す(=物語る)というテーマを扱っている
- 作者: チャールズテイラー,Charles Taylor,伊藤邦武,佐々木崇,三宅岳史
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2009/05/26
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- 作者: カミュ,窪田啓作
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1963/07/02
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