山田奨治『日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか』

最近著作権法と政治過程についてエントリを書くことが多かった。本書はまさにこのテーマについて書いている本であり、ぜひとも広く読まれるべき本だと思ったので、参考までに読書メモを載せておきたい。

山田奨治『日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか』(2011)人文書院 ★★★★★

著者の山田氏は総合研究大学院大学教授。専門は情報学で、筑波大の医科学研究修了、京大の工学博士とのこと。よく分からないが法学者ではないことは確かだろう。しかし、以前から『<海賊版>の思想』など著作権の本を書いていたので名前は知っていた。


本書の内容は一言でいえば、著作権法改正の立法過程を解説したもの。政治過程とは具体的には文化審議会著作権分科会
まさに今このような本が広く読まれるべきだろう。著作権法特許法と異なり一般に広く利害関係があり大きな関心がもたれているが、政治過程に一般の国民の利害が適切に反映されているとは言えないからだ。
山田氏が本書のようなテーマについて書けるのは、氏が法学者ではなく著作権法サークルの外にいるからだろう。当事者となっている著作権法学者らはこのような本は書きにくい。ジャーナリストなどがこのような政治過程について本を書くことがあるが、素人的なものに終わることが多い。その点、山田氏は(法や政治の専門家でないとしても)学者でありちゃんとした内容になっていると思う。本来なら法学の素養のある政治学者に書いてもらいたいテーマだが、そのような本は今のところないと思う。
ということで★5つ。

●日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか?

本書は<著作権者が政治過程に影響力をもっているから>と答えている。

●本書の結論

本書の結論は<国民がもっと政治過程に関心をもち監視していかなければならない>。これは著作権に限らずすべての立法において言えることで、審議会政治などと呼ばれ政治学などでよく知られた事柄だが、重要だ。このように官僚が審議会で利益団体の利害を調整し、意図する結論を出し、政治家(内閣・国会)にはそのまま立法させるという省庁代表制・官僚内閣制が日本政治の根本的な問題だからだ。なぜ根本的か言うまでもないが民主制に反するからだ。官僚は民主的正統性をもたない。
自分の言い方では「『広く弱い利害』をもつ集団から『狭く強い利害』をもつ集団に利益が移転される」ということ。


本書で紹介されている審議会の検討過程は詳細で省庁代表制の現実の様子が伝わってくる。ただ文化審議会が他の審議会に比べて特に官僚支配が酷いという訳ではないというのが自分の感覚だが。


上の結論以外にも山田氏は<著作権者は国内の政治過程だけではなく外交(ACTAなどの条約)を通じて著作権の強化を図っている>とを指摘している。これはポリシーロンダリングの問題だ。TPPにおいてもこの問題がある。ポリシーロンダリングは審議会よりも民主制に反する傾向が強いと思われる。例えば透明性という観点で見ても外交交渉は審議会より断然閉鎖的だ。

●本書の指摘するような問題に対する対策は何か

審議会政治については、従来から色々な試みがなされている。例えば、小泉首相経済財政諮問会議を利用し、鳩山首相は国家戦略室を利用しようとした。
私見では、国民が監視するには委員の選出など審議会の制度にもっと透明性をもたせ、ガバナンスを向上させるのが重要だ。アメリカは審議会ではなく議会で利害関係の調整を行うので相対的に透明性が高いだろう。例えば、議会(の委員会)の開く公聴会の様子がテレビで放映されたりする。このような議会を変換型議会とよぶ。
このような官僚主義を打破する改革は難しいが、ポリシーロンダリングについてはさらに対策が難しいと思われる。だから官僚が新たな手段として利用しているんだろうが。


以下内容のメモ。

【第1、2章】

<日本の著作権は厳しい>と主張している。他国と比べていないので本当に厳しいのかは疑問だ。厳しくなっているとは言えると思うが。

著作権侵害罪の検挙件数は疑わしい

著作権侵害罪は誰でも犯しうる罪。交通違反と似ている。警察が取り締まりを強化すればするほど検挙数が増える。これは重要。

●映画盗撮防止法の立法過程

映画盗撮防止法(2007)で映画の盗撮に10年1000万円の罰則が設けられた。これは私的複製を狭めるもの。この法律の立法は角川歴彦氏が甘利明経産相らにはたらきかけて実現した。このような特別法ではなく著作権法の改正で対応すべきという意見もあったが、文化庁経産省の問題であり口出ししないという態度をとった。
典型的な立法過程の事例で興味深い。角川氏は「著作権者の中ではネットに対して好意的」と見られているようだが、もちろん自社の利害で動いているだけで、ネットユーザーのことを考えている訳ではないことは確認しておいた方がいいだろう。

●クラブきっず事件

子どもの死体の写真が好きな小学校教師が自分のサイト「クラブきっず」にアップした写真の著作権侵害で逮捕・起訴され有罪判決を受けた事件。犯人は侮辱罪でも起訴されているが、それだけで起訴できたのかという問題だろう。著作権が利用されたのではないか。

【第3章】

本章と次の第4章が本書のメインだろう。内容は著作権法の立法過程について。

文化審議会著作権分科会や知財戦略会議の委員の変化を一覧表にしたり、委員の在任期間を列挙したりしている。おもしろい。

著作権法の改正はアメリカの要求どおりなのか?

年次改革要望書の内容と実際になされた法改正の時期・内容を比べて検討している。山田氏は結論としては、アメリカの一方的な押しつけではなく、日本の著作権者が望む法改正をアメリカから後押ししてもらう意味を持っていたのではないだろうか、と述べている。官僚が検討していた法改正がその後の年次改革要望書に書かれた非親告罪化の例などを挙げている。ポリシーロンダリングと同様の手法だ。このあたりも広く知られるべき事実。

【第4章】

ダウンロード違法化(著30条1項3号)を決めるまでの審議会(の私的録音録画小委員会)の審議過程を詳細に記述している。その意味で重要な章だが、細かすぎて疲れる面もある。委員の名前が誰が誰だが分からなくなるし。結論としては補償金制度の根本的な検討をする意図で始まったが、著作権者側と電機メーカ側の利害対立が激しく、唯一同意できたダウンロード違法化だけが法改正まで到達したというもの。「現実はこんなもんだろうな」という感じがして良い。

文化審議会はどのように運営されているか?

結局は事務局(文部官僚)が最初から答えを持っていて、それに合わせて審議会を動かしているということだ。
まず、何回目かの会合で官僚が論点を整理した資料を配布し、実質的に30条を検討対象にすることを決めている。それまでは検討対象にするかどうかで権利者とメーカが争っていた。このような手法は高橋洋一氏の本などでよく紹介されている典型的なもの。
著作権分科会でもメーカを代表する委員が官僚の資料が「あたかも、一定の結論が先に存在するような構成の資料」だと批判している。
このような資料に基づき、委員が検討し、権利者とメーカがダウンロード違法化に異論を唱えなかったので、次の会合で官僚がダウンロード違法化と補償金制度を改正しないことを提案している。このとき「事実を知りながら」という限定も加えられている。
その後、ネットユーザの利害を代表していると思われる津田大介氏が違法化に反対し、MIAUを立ち上げネットユーザの意見を集めたが、官僚は「やはり違法化する」と述べ「パブリック・コメントで寄せられた多数の声はまったく無視された」(p.147)。


また、文化審議会ではないが、この事務局主導の運営について中山信弘氏が知財戦略本部の事務局を「余りにも独善的」と批判していたということが紹介されている。
事務局が最初から特定の本部員(財界の代表)の案を答えとしてもっていて、それ以外の本部員(中山氏)は排除されているということのようだ。山田氏は当時の事務局長が荒井寿光氏であり、プロパテント論者として著名な人物と紹介している。

【第5章】

海外での海賊版事情。アジアでの光ディスクの海賊版の話とBSAの統計への批判。BSAはアメリカのビジネスソフトの著作権者の団体。重要ではない章。他の本に収められた論文からの再録だし。

クラウド化と呼ばれる変化が進めば、BSAの現在の調査手法では違法コピーの実態をとらえられなくなる。(p.192)

そもそも違法コピーできなくなると思うが。クラウド化のソフトウェア特許・プログラム著作権に与える影響は甚大だと思う。

【第6章】

ポリシーロンダリングの問題が指摘されている。

[外交交渉は]国内法の改正のように国内で議論になることは少ない。しかもそこで決められたことが、国内法の改正に向けた所与の条件になってしまう。条約でそうなったのだからしかたないと、議論の余地がなくなってしまうのだ。(pp.195-196)

ACTAの秘密主義への批判が紹介されている。

【あとがき】
●なぜ山田氏は著作権強化に怒っているのか?

自分の言い方では著作権者のダブルスタンダードに怒っているということだろう。

「文化産業」と呼ばれるものに属するひとたちは、[・・・]ときに私欲をむき出しにして著作権をいじくり、文化の創生と拡散の根本であるコピーを妨害する。[・・・]それでありながら、自己の立場を守るときには、文化を守れ、文化こそが大切だといった大上段な「文化」概念で、彼らの矮小な営みを飾り立てる。わたしは、その傲慢さに異議を申し立てたいのだと思う。(p.204)

ダブルスタンダードは本当に腹が立つ。テレビ局の電波利権の問題とか新聞業界の再販制度の問題とか、自分がはらの立つ問題はダブルスタンダードという点で共通している。


【その他】

●用語

親告罪とは、被害者などからの告訴がなければ公訴(検察が起訴すること)ができない罪をいう。(p.6)

「公訴」を動詞のように使っているのがヘンだ。正しくは「公訴の提起ができない罪」だろう。もしくは「起訴できない罪」と言えばいいのに。このあたりで「法学者じゃないな」と感じる。