津田大介『情報の呼吸法』
以前、山田奨治『日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか』(2011)という本を「ぜひとも広く読まれるべき本だと思ったので」紹介した。その記事を津田大介氏にtwitterで言及してもらったらしく、その記事は(本ブログにしては)よくアクセスされた。
なので「読んでダメなら紹介しづらいなぁ」と思いつつ本書を読んだが、まさに『日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか』と同様に自分の問題意識とまったく一致していたので「ぜひとも広く読まれるべき本だと思い」ここで読書メモを載せて紹介したい。
その問題意識とは、おおざっぱには<日本では(本来の)民主主義が成り立っていない。その大きな原因は政治に関するメディアの状況が低レベルだからだ。ネットの力でその状況を改善できないか>というものだ。より多くの人が本書を読み、同じような問題意識を持ってもらえれば、と思う。
なお、私は本書を読んで「なるほど津田氏の問題意識が山田氏と一致していたので自分の書評記事に言及したんだろうな」と腑に落ちた。
- 作者: 津田大介
- 出版社/メーカー: 朝日出版社
- 発売日: 2012/01/10
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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津田大介『情報の呼吸法』(2012)朝日出版社 ★★★★★
「情報の呼吸法」というタイトルは情報のインプットとアウトプットを意味している。本書の前半は津田氏の情報の呼吸法の経験談。目立つ記述は東日本大震災時のtwitter上での言動(例えば、被災地の情報を拡散)や福島でチャリティイベントを行った経験など。あとはtwitter以前のナップスターなどの頃からの振り返り。これはこれで参考になるが、メモするところはあまりない。
自分としては後半がよかった。この部分だけで今まで読んだ津田氏の著書の中で本書がベストになった。評価も「ぜひとも広く読まれるべき本」なので★5とした。
●津田氏の計画:「政治メディアを作る」
さて、その後半の内容は何かというと、前半の過去に対して津田氏の今後。氏はこれからネット上での政治的言説を広めていこうと計画しているという。
将来は自分自身で新たな政治メディアを作ろうと思っています。(p.32)
例えば、審議会での法案作成の過程をtwitterで逐次中継するとか("tsudaる"と呼ばれているものだ)。このアイデアは著作権法改正の文化審議会のメンバーとして活動した経験がキッカケだという。前述の山田氏の本はこの文化審議会の過程を克明に記録したものだった。
この経験から津田氏は国民(ネットユーザ)と政治過程(立法過程)が断絶しているという問題意識をもったのだと思う*1。一言でいえば「民主主義が成り立っていない」ということ。その主な原因をマスコミに帰属させて、その原因を「ネットの力で何とか取り除けないか」という発想だ。
「なんでマスメディアってこんな政治の報道の仕方をするんだろう」という疑念や義憤をずっと抱いています。(p.113)
この問題意識と解決法はまったく自分も共有するものだ。自分のもっとも根本的な問題意識は<日本がダメなのは近代社会じゃないからだ>という明治以来の問題意識*2。近代社会はリベラルデモクラシーとほぼ同じなので民主主義も含まれる。
●日本の政治過程がいかに一般の国民から断絶しているか
ところで、日本政治史の不変の非公式制度(慣習)として「民は之に由らしむべし之を知らしむべからず」というのがある。原典は論語だが、日本政治の文脈では<国民に政治についての情報を与えず政府に頼りっ切りにさせて統治する>という政治のあり方として引用される。「由」は「頼る」という意味だ。この政治手法は徳川幕府以来の伝統とされる。
この政治手法が典型的に表れている例が原発問題だろう。政官財の鉄の三角形(通産省・電力会社・族議員)がこれまでのエネルギー政策において何をやってきたかを見れば、誰でもこの慣習が生き続けていることに納得せざるを得ないんじゃないかとすら思う。例えば、東海村臨界事故やもんじゅナトリウム漏えい事故での隠蔽など(原発問題の歴史は吉岡斉『新版 原子力の社会史』(2011)に詳しい。)。
今回の福島の原発事故でも政府・官僚は「国民に情報*3を公表するとパニックになるから隠していた」なんて平然と言ってるが、徳川幕府が庶民を見る眼と何も変わっていないんじゃないかと思う。自分としては原発の技術的な問題(例えば、放射能汚染)よりも政治過程の問題として腹が立つ。
こんな慣習がある国で民主主義が成り立つはずもない。国民に情報がないのにどうやって政治参加しろ、と*4。この状況を変えるのに情報技術を使うというのは、もっとも可能性がありそうな手段だと思うのだが、どうだろうか。
●津田氏の計画の具体案:霞ヶ関文学の翻訳
具体的には、津田氏は「審議会の中継や議事録を公開すれば、ユーザのうちある程度専門知識をもっている人が霞ヶ関文学(お役所用語)の裏にある意図や背景を指摘して、みんなが理解できる言葉に翻訳できるのではないか、そのような解説を流す政治メディアを作りたい」と言っている*5。
これは高橋洋一氏などが官僚政治に対抗する方法として「国民が霞ヶ関文学を理解する必要がある」と主張しているのと通じるものがある。本ブログで何度も書いているが官僚内閣制・省庁代表制が日本の政治過程の根本問題だと思われるので、この「霞ヶ関文学の翻訳」は重要だろう。
審議会の内容を丹念かつリアルタイムに追い、官僚が作った配布文書や参考資料から彼らが考えている方向をその分野に「土地勘」がある人に解説してもらう――こうして、僕が考える政治メディアの原型ができあがりました。(p.134)
本ブログの目的の一つも「土地勘」がある分野(そんなのあるか疑問だが)について解説を書くということではある。こういうメディアができれば、そのような場で解説に貢献できる機会もあるかもしれない。
ここで3つほど指摘を。
第一に、審議会にこだわる必要はないだろう。言うまでもなくもっとも重要なのは法律(法案)なので。
第二に、リアルタイムにこだわる必要もないだろう。
つまり、既に提出された法案や更に既に成立した法案の内容についても翻訳して意図や背景を流すメディアというのは必要とされていると考える。
例えば、アメリカのSOPA法案についてはその意図を解説するようなネット記事が多く読まれ反対派を増やしたと思われる。また例えば、高橋洋一氏が指摘していることだが(『数学を知らずに経済を語るな!』(2012))、実は消費税の増税は既に立法化されている*6。このような目立たない法案を目立たせるのは重要だ。
第三に、立法にこだわる必要もないだろう。
つまり「立法だけでなく行政も」ということだ。官僚の公表する情報全般について、その意図や背景を解説できれば意義があることだ。これは優先順位として後ということかも知れないが。
以下、内容のメモ。
●ソーシャルメディアは近代社会の実現に役立つか?
これは自分にとって興味深い問い。
普段の日常生活で必要とされるコミュニケーション能力の代わりに何か突出したものを持っていればいいんです。昔は「コミュニケーション能力がない」というだけで切り捨てられていた存在が生き残れるようになったと個人的には思っています。(p.155)
これは社会心理学者の山岸俊男氏(北大)が『「しがらみ」を科学する』(2011)で述べていたことと同じだ。
この本は「今は"世間から社会へ"という流れがあるので『しがらみ』から自由になるチャンスが増えてきているんだよ」と世間でのコミュニケーションに苦しむ若者に呼びかける本。ここで「世間」とは前近代社会を指し「社会」とは近代社会を指す*7。今後は日本も<自由対等な個人が法の範囲で自由に行動できる>という18世紀頃からの近代社会の理想(日本国憲法の理想)に近づくということ。
このように考えると、津田氏の発言は「ネットのおかげで日本も近代社会に近づく」と解釈できる。山岸氏の本は「コミュ力」至上主義に苦しむ人・反感をもつ人は関心をもって深く読めると思う。
ソーシャルメディア上では真正直に、愚直に行動することが分かりやすく可視化されます。(p.164)
これも上の引用と同様に解釈できる。近代社会を支える近代法は「法を守る人が得をする」という理想のもとで作られたと言える。法の支配を受ける前の王・貴族は今とは比べ物にならないほど得をしていた。ただ、マシになったとはいえ今でも法の抜け穴を利用する人が得をする状況は残っている。ソーシャルメディアがそれを変えるのに役立つなら望ましいこと。
●ジャーナリストよりアジテーター
ジャーナリズムとして公正な情報を提供することには興味がない。情報で世の中を動かすことにしか興味がない。自分はジャーナリストよりアジテーター。
前半のこの箇所が後半の政治メディア計画への伏線になってる。
●アウラと<強度>
今はネットでもアウラが生じているように感じます。ソーシャルメディアによって[・・・]情報が一気に流れては消えていく場所が生まれたことでアウラが生成された。(p.58)
アウラは自分の中でもキーワードだ。自分は<強度>と呼んでいるが。<強度>については本ブログでしつこく言及しているところ。例えば、『天空の城ラピュタ』のテレビ放送時にtwitterで「バルス」が氾濫したという出来事があったが、これなどは<強度>(一回性、連帯感、高揚感)を求める行動といえるだろう。以前、twitterなどの炎上は強度を求める行動だというエントリーを書いた。
なお、アウラは著作権ビジネスの文脈でもよく参照される概念。例えば「コピーにはアウラがない」→「じゃあ音楽(デジタルデータ)そのものよりアウラのあるライブで稼ごう」みたいに。
●情報の価格は限界費用(≒ゼロ)に等しくなる
いずれ遠からず、情報無料化の波が出版業界にも押しよせて、まったく食えなくなる時代がくるだろうと直感したのです。[・・・][現に]知り合いのライターもどんどん廃業していきました。(p.37)
岡田斗司夫氏が同じことを言ってたな(『なんでコンテンツに金を払うのさ?』(2011))。
●有料メルマガ
ツイッターやブログで情報を発信して「あとはメルマガでどうぞ」といった誘導はあまりしたくないのです。(p.124)
●人間関係資本
今やツイッターで直接[有名人・知識人と]連絡が取れるよう[原文は「連絡が取ることが可能」。誤字です]になり、タイミング次第では会うこともできる。(p.162)
[人間関係資本を]貸したけども返ってきたらいいな、という気持ちでいろということですね。(p.163)
これからは人間関係が資本になるからといって、他方では経済資本も必要なのは当然です。しかしお金のために働くというのは本末転倒な気がします。それはソーシャルキャピタルでも同じこと[・・・](p.159)
【参照文献】 ※今までの津田氏の本とは違い多くの文献が参照されている
ケインズ『雇用と利子とお金の一般理論』 ※山形浩生氏の訳書もちゃんと挙げてある
丸山眞男『日本の思想』
マーシャル・マクルーハン『グーテンベルクの銀河系』
村井純『インターネット』
梅田望夫『ウェブ進化論』
ラハフ・ハーフーシュ『「オバマ」のつくり方』
タラ・ハント『ツイッターノミクス』
内田樹『街場のメディア論』
高城剛『ヤバいぜっ!デジタル日本』
古賀茂明『官僚の責任』
中野剛志『TPP亡国論』
山田奨治『日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか』 ※この本も参照されていた
宮台真司・神保哲夫ほか『地震と原発今からの危機』 ※本書では宮台真司氏を参照する箇所がいくつかあった
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*1:『日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか』の書評記事では「政治過程に一般の国民の利害が適切に反映されているとは言えない」と書いた。
*2:宮台真司氏や小室直樹氏の影響を受けているのだろうと思うが。
*4:小泉内閣や橋下徹市長など左派がよく批判する政治家は政治メディアの貧困さを利用して支持率を稼いでいるともいえる。
*5:『日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか』の書評記事では「審議会の制度にもっと透明性をもたせ」るべきと書いた。
*6:高橋氏によれば「平成23年度までに必要な法制上の措置を講ずる」という附則のついた法律が平成21年度に成立しており、財務省はこの法律に基づいて動いている。もちろん官僚は法律に基づいてしか行動できない。
*7:津田氏のいう「日常生活」が山岸氏のいう「世間」。