マンガ家がネットの写真をトレース:フェア・ユースをどう考えるべきか?

現実

休載のお知らせ

2011年12月 7日更新連載作品『ダシマスター』において、一部の背景や料理、食材等の絵で、ウエブ上の写真画像に非常に類似したものがあることがわかりました。
事実関係を確認するため、第3号(12月21日発売)より当分の間休載させていただきます。

グランドジャンプ編集部
http://news.2chblog.jp/archives/51659267.html

グランドジャンプ』という雑誌に連載していたマンガがウェブ上の写真をトーレス*1していたとして休載になったという。
この処分に対してマンガ家が怒っている。

ネットの写真をトレースしたら駄目とか正気?しかも料理の写真じゃん!
全部自分で作って撮るの?レストラン行って撮るの?想像で描くの?
担当の編集は資料も用意しないくせに作家がどうやって描いてると思ってたの?
容認してたくせに指摘されたら休載とか信じられない。死ねばいいのに。
http://alfalfalfa.com/archives/4963649.html

今回はこの騒動をフェア・ユースの問題として考えてみる(コンプライアンスの問題として考えてもおもしろいかもしれない)。

抽象

1.フェア・ユースをどう考えるべきか?

私の答えは「社会的な効用(厚生)が増大するならフェア・ユースを認めるべき」というもの。18世紀からある単純な考え方に基づく。ただ、これだけではフリーライドによるインセンティブ不足が起きるので*2「著作者の創作のインセンティブを害しない範囲で認める」という条件をつけるべきだと考える。なぜなら、著作権法は「文化の発展」(著1条)という厚生の増大を目的に、著作物という公共財著作権者が私有財化するのを正当化する(=フリーライドを規制する)法律だからだ。
これをまとめるとフェア・ユースの条件は

  • 積極的要件:フェアユースを認めた方が社会的な効用(厚生)が増大すること
  • 消極的要件:著作者の創作のインセンティブを害しない範囲であること

となる。
アメリカのフェアユースの4考慮要素もこの考え方に整合的だと思う。

  • 利用の目的と性格(利用が商業性を有するか、非営利の教育目的かという点も含む)
  • 著作権のある著作物の性質
  • 著作物全体との関係における利用された部分の量及び重要性
  • 著作物の潜在的利用又は価値に対する利用の及ぼす影響

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%A2%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%B9

2.なぜ厚生で判断するのか?

最大多数の最大幸福」(厚生の最大化)がリベラルデモクラシー(政治)の目的だからというのが単純な答えだ。しかし、民主制には多数派の専制という問題があるので、最低限の範囲では(選挙で負けてしまう)少数派を多数派に勝たせて守ってやる必要がある。そこでリベラルな国家は一般に、その最低限の部分を人権として保護している。
しかし、著作権はここでいう「最低限の範囲」に当たらないと考える。前回のエントリで扱った北朝鮮ベルヌ条約事件の最高裁判決も著作権は普遍的な価値を守るものではないと述べていた。歴史的にも著作権は印刷業者の経済的な権利に過ぎない。よって憲法も定めるように公共の福祉によって制約可能だと考える(憲29条)。ここでいう「公共の福祉」は憲法学上いろいろ議論があるとしても、根本的には厚生と一緒だと考えていいだろう。

3.なぜ厚生とフェア・ユースが関係するのか?

厚生は正確に測ることができないため、裁判所に個々のケースで判断を任せるしかないためだ。先に挙げた要件の「厚生が増大する」というのは個々のケースで当然違ってくる。そしてより問題なのは厚生は現実には誰も正確に測ることができないことだ。厚生経済学では社会厚生関数というのを想定して、厚生が最大化するのはどのような場合かを議論するが、社会厚生関数というのはフィクションだろう。例えば、森嶋通夫氏(LSE)が『思想としての近代経済学(1994)でそのようなことを書いている。
よって、仕方ないので裁判所にエイヤで決めてもらうしかないだろうということだ。「いや、裁判所ではなく国会で決めればいいじゃないか」という考えもあるだろう。しかし、厚生は個々のケースで異なるという問題と国会で決めようとすると結局、利益集団が官僚を通じて影響力を行使することになるので、結果として権利者に有利な立法ばかりになってしまうという問題がある。権利者に有利な立法ばかりになってしまうと一般に厚生は低下する。これは「『広く弱い利害』をもつ集団から『狭く強い利害』をもつ集団に利益が移転される」ということ。この問題は山田奨治『日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか』(2011)が論じており、以前このブログで取り上げた。
以上から、行政や立法よりは、まだ社会全体の効用を考えてくれそうな裁判所に任せた方がいいといえるのではないか。

現実と抽象

4.本件でフェア・ユースを認めるべきか?

基本的には3.で書いたように裁判所がエイヤで決める話なのでなんとも言えないが、自分の感覚でいうと、マンガを読む読者(と出版社等)の効用増の合計の方が料理の写真をトーレスされる個人や通販サイトの効用減の合計より大きい。これを反対から言うと、マンガが休載になって減る読者の効用の合計の方がトレースを止めてもらって増える個人・通販サイトの効用の合計より大きい。よって1.で書いたフェア・ユースの積極的要件を満たす。
また自分の感覚では写真がトレースされてマンガに利用されても、個人のブログを書くインセンティブや通販サイトの商品写真を掲載するインセンティブは低下しないと言える。よって消極的要件も満たす。以上から、本件のマンガ家のトレースはフェア・ユースとして認められるべき、という結論になる。


なお、この議論は「どう考えるべきか」という規範的な議論なので、政策論としての実現性などは考慮していない。

*1:ここでは単純化してトーレスを模写を含め、著作権法でいう「複製」と考える。

*2:実際はもっと細かい議論が必要だが。