推論とは何か?(帰納と演繹)、科学とは何か?(反証可能性)
前回のエントリでバカとは推論の誤りの一種という定義を紹介した。
今回は推論自体について、自分の採用している考え方を書いてみようと思う。
この「推論」という概念は自分の中で重要な位置を占めているため。
なぜ重要かというと、一般に学問(特に科学)は推論だから。ここで、科学とは自然科学だけでなく、社会科学も含む。
推論には2種類ある。演繹と帰納である。演繹は論理に基づくもので、前提を言い換えて結論を導くもの。帰納は多数の経験から一般的な結論を導くもの。両者は大きく異なる。正しい演繹は必ず正しい。言い換えに過ぎないので。一方、帰納は必ず正しいとはいえない。典型的な例は、カラスを何千羽と見て、すべて黒かったからといって(経験)、「(すべての)カラスは黒い」(結論)とはいえない、というもの。これをテーマにしたのが、ナシーム・ニコラス・タレブ『ブラック・スワン』(2007)*1。
この演繹と帰納を組み合わせた方法が仮説演繹法。イギリスの天文学者ジョン・ハーシェル(1792-1871)が提唱した。仮説演繹法とは
- 多数の事実の収集する
- 帰納的に仮説を立てる
- 仮説から予測を演繹的に立てる
- 予測を経験的に検証する
という方法である。ここで、ステップ4.における検証とは、典型的には自然科学の実験をいう。なお、2.の仮説がモデルと呼ばれたり、3.の予測が仮説と呼ばれたりすることもある。
この方法が、科学の一般的な方法といえる。最先端の科学について詳しくは知らないが、例えば、ダーウィンはハーシェルに影響を受け、仮説演繹法に基づいて進化論を構築した。
また、この方法は科学の本質ともいえる。なぜなら、科学の本質は方法といえるので。
こうして仮説演繹法は、科学の定義とも関連する。
科学の定義として科学とは反証可能だが反証されていない仮説の集合というものがある。反証可能性という概念は(科学)哲学者カール・ポパーが提唱した。例えば、多くのオカルトやニセ科学と呼ばれるものは、正しいと証明もできないが、間違っていると反証もできないようなもの。この定義に従うと、これらは科学ではない。仮説演繹法には4.検証というステップがあり、この定義に合致している。ただし、科学哲学上はこの定義に対し有力な批判がある。
この定義の良いところは科学において必ず正しい命題はないと分かることだ。"永遠の仮説"などと言われる。一方、純粋な論理(数学を含む)においては、必ず正しい命題がある。ただし、純粋な論理においても、ある論理体系(命題の集合)の正しさをその論理体系の内部から証明することはできない。それを証明したのがクルト・ゲーデルの不完全性定理。
なお、仮説演繹法については、野家啓一『パラダイムとは何か』(2008)を参考にした。この本はトマス・クーンを中心にカール・ポパーやポール・ファイヤアーベントなど科学哲学の歴史を紹介したもの。
パラダイムとは何か クーンの科学史革命 (講談社学術文庫 1879)
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