ケインズ学会編、平井俊顕監修『危機の中でケインズから学ぶ』

2011年の本6冊目。今回は3冊目の小島寛之監修『マンガ ケインズ』と同じくケインズについての本書を。

危機の中で〈ケインズ〉から学ぶ――資本主義とヴィジョンの再生を目指して

危機の中で〈ケインズ〉から学ぶ――資本主義とヴィジョンの再生を目指して

ケインズ学会編、平井俊顕監修『危機の中でケインズから学ぶ』(2011)作品社 ★★

2011年4月にケインズ学会というのが設立されたそうだ。本書はその学会のシンポジウムの内容と何編かの論文をまとめたもの。監修の平井俊顕氏は設立の責任者のようだ。上智大学教授、専門は経済思想史。好きな経済学者の一人である吉川洋氏(東京大)がシンポジウムのパネリストになっていたので読んでみた。本書には他にも小野善康氏(大阪大)や岩井克人氏(東大名誉教授)、伊東光晴氏(京大名誉教授)、根岸隆氏(東大名誉教授)、塩野谷祐一氏(一橋大名誉教授)など有名な人が多く参加している。


ただ本書を読んだ感想は「誰得?」というほど酷い
第一に伊東氏、根岸氏など老人の昔話が多く、誰が読みたがるのか謎。彼らのファンは読みたがるかもしれないがそれぞれは自伝にはとてもならない短いもの。
第二に経済思想史という学問の貧しさを感じる。全体的に時代性がない。タイトルにそって現代の問題を考えていたのは最初の討論の吉川氏と浅田統一郎氏(中央大)くらいか。他はほとんどがタイトルに反する。
具体例を挙げれば、ケインズの現代的意味とかいっても浅い話しかしない平井氏の論文とか、マルクスについて語ってる伊藤誠氏(東大名誉教授)とか、あんたらがケインズ/マルクス好きなのは分かるけど「だから何?」と言いたくなる。もっとも酷いのが山脇直司氏(東京大)。政治哲学としてのケインズというテーマだが、自分の好きな話(政治思想史)を勝手にしているだけで実際的な話が何もない。山脇氏については、ひさしぶりに「文系学者はダメだなぁ」と思わせる論文を読んだ。
平井氏が「日本の経済学界では経済学史は[・・・]占める位置が、年々小さくなってきているという現実があります」(p.143)と書いているが、この状況なら「当然だよね」と同情する気にならない。


結局シンポジウムのうちの討論2つは★3つとしても残りの伊東氏の講演は★2つ。論文の中では橋本努氏(北大)のもの以外は★2つという感じなので全体としても★2つだろう。読む価値なし。おもしろかったのは討論のうちの吉川氏と岩井氏くらいだった。


以下内容のメモ。

吉川洋

マネタリズムやリアル・ビジネス・サイクルなどここ30年の新古典派マクロ経済学を完全否定している。「ほとんどあきれるような論文」(p.21)とか。ニューケインジアンも含めて無駄だったと言い切ってるところが凄い。
ジェームズ・トービンはもちろん、ロバート・ソローケネス・アロー新古典派マクロ経済学に反対していた。吉川氏が日本経済学会で「一般均衡理論は理念のようなものでそれを現実にそのまま当てはめるなんてありえない」と述べたところ安井琢磨氏が「その通り」と褒めてくれた。

財政破綻

日本国債は外国人ではなく日本人が持っているから大丈夫というのはおかしい。日本人だろうが外国人だろうが、市場参加者の国債に対する信頼が失われれば暴落するから。自分としてはこちらが正しいと思うが、浅田統一郎氏(中央大)は<日本国債は100%円建てなので円を刷れば済む>と反論している。話がすり替わってないか。

またケインズ経済学でいうGと日本の現実の政府支出はズレていると指摘している。日本の政府支出は社会保障がメインなので。

【浅田統一郎】

岩田規久男氏と同じで「失われた20年」の原因は日本政府が財政支出を減らし、日銀が金融引締めをしたからと主張している。
1983〜2005年の失業率と消費者物価上昇率をグラフに採るとフィリップス曲線っぽくなる。やはりちゃんと成り立ってるのか。

【伊藤邦武】

一人だけ哲学者として参加している。以前読んだ『人間的な合理性の哲学』(1997)でもケインズやラムゼーを扱っていた。ケインズの確率論について紹介している。

われわれは具体的な財の価値の比較を行うにはあまりにも想像力が欠けているため、抽象的な貨幣による比較を行ってしまう。そうする方が楽なわけだけれど、それは全然意味がない(p.77)

将来の確率が十分に予想でき、将来と現在を比較できるという前提条件が成り立たないため。
ケインズは貨幣による比較は将来を具体的に予想するという知的賦課を軽減する意味では有効だが現実逃避でありよくないと考えていた。なかなかおもしろい。

岩井克人

本書の中でもっともおもしろかった。

ケインズ『一般理論』の真のテーマは何か?

それは人間が非合理だからこそ経済の安定性が得られるということだという。どういうことかと言うと、労働者は名目賃金の切り下げには抵抗するが、実質賃金の切り下げである物価の上昇には抵抗しない。なぜなら労働者は他人との比較(公平性)を重視するため。物価上昇は全労働者の実質賃金を一斉に切り下げるだけで相対的には変化しない。この賃金の下方硬直性が経済の安定性を支えているということだそうだ。

●投機は経済の安定性に資するか?

この問いに対し、フリードマンは「資する」という。なぜなら人びとは高いときに売り安いときに買うから。つまり合理的だから。ケインズは「安定性を害する」という。美人投票の例に示されるように他人の行動を予測して同じように行動するから。合理的なほど他人の行動を予測して真似る。岩井氏はアカロフ=シラー『アニマルスピリット』ケインズのレベルまで到達していないと評価している。

塩野谷祐一

ケインズシュンペーターというテーマで書いている。シュンペーターについては結構よかった。
シュンペーターの資本主義論はイノベーションが枯渇するという主張ではない。イノベーションの担い手が経済以外の分野(芸術、教育、政治など)に移ってしまうという主張だ。

【間宮陽介】

新古典派市場経済には、よく貨幣が存在しないといわれます。[・・・] しかし古典派理論は[・・・]貨幣が存在しないのではなく、実のところは、すべての財が貨幣なんです。[・・・]すべての財の市場が高度に組織化されているということ[は]すべての財が貨幣である[・・・]ということと同じです。(p.103)

橋本努

ケインズハイエク(新自由主義)の思想は対立しないという話をしている。ハイエクの自生的秩序をやたらと広く解釈しているようなので「当然じゃない?」という印象しか受けなかった。金融政策も産業政策も公的職業訓練も自生的秩序を支える政策なのでハイエクの思想に反しないそうだ。へぇ。

【山脇直司】

哲学が文学部の一学科として矮小化され、社会の現実とかけ離れた抽象的思弁や文献研究に埋没し、他方で経済学をはじめとする社会科学系の学問が哲学欠乏症に至る状態が続いており、双方の架橋が困難になっていた。(p.236)

同意するけど「自分のこの論文は何なんだ」とツッコミたくなる。思い出話をしたりして散々寄り道した最後にケインズロールズやセンの社会哲学を接続する必要がある、という当たり前な結論を出して終わる論文。

【参照文献】

アカロフ=シラー『アニマルスピリット』
森嶋通夫『終わりよければすべてよし』
伊東光晴ほか『ケインズ
宇沢弘文近代経済学の転換』