マイケル・J・サンデル著、林芳紀・伊吹友秀訳『完全な人間を目指さなくてもよい理由』

前回のエントリで『民主政の不満(上)』を紹介したが、本書も以前のエントリで参照したので、読書メモを載せておく。

マイケル・J・サンデル著、林芳紀・伊吹友秀訳『完全な人間を目指さなくてもよい理由』(2007)ナカニシヤ出版 ★★★★

本書はいつもの政治哲学とは少し違って生命倫理について。サンデルはブッシュ政権(2001年)に政府委員をやった経験から生命倫理に興味をもったという。「正義」の授業でも生命倫理について触れていた気がする。原題は『The Case against Perfection』。訳者の林氏は東大助教、専門は倫理学・政治哲学。伊吹氏は東大医学部研究員。林氏による訳者改題はとてもいい。つられて訳もいいように思える。「あとがき」にあるように『サンデル教授の対話術』のようなハーバード白熱教室ブームにのった本ではないので、一緒にされたくないというのはよく分かる。本書の評価としては「まっとうな本」だ。読む価値あり。
なお、小林正弥氏が『サンデルの政治哲学』などで本書の邦題を批判しているが、自分はそれほど気にならなかった。ひどい邦題は世の中に溢れ返ってるのでほとんど気にしないからか。

本書で参考になった点は次の議論。以前から言われていることだがエンハンスメントを題材にするとよく分かる。
<被贈与性>(自分の才能は与えられたものだという感覚)が失われると他者への共感が失われる。その結果、共同体が維持できなくなる。これは裏返せば、個人主義自由主義による自己決定・自己責任論は他者への共感を失わせるということ。こちらはよく言われる。自分が思い出したのは玄倉川水難事故(1999年)。いわゆる「DQNの川流れ」。増水の警告を散々無視して13人が死亡した事故。これは明らかに自己責任。死んでも仕方ないと思う。一方、子どもも含まれており、彼らに対しては「可哀想に」と思う。これは運・不運が共感の有無に影響する例だろう。他の例ではイラク日本人人質事件(2004年)とか。

自己決定・自己責任と連帯はやはり対立関係にあるようだ。これが納得できただけでもよかった。<被贈与性>は<才能は運だ>とも言い換えられる。この考え方はジョン・ロールズの「無知のベール」、「正義の二原理」の一部といえる。エンハンスメントは「才能は運」を覆すのでロールズの議論が成り立たなくなる。この点も興味深い。訳者の林氏が解説している。

【訳者改題】

本書の内容はエンハンスメント批判。エンハンスメントとは「治療目的でない医学技術の行使」(p.165)。本書では特に遺伝子操作が問題とされている。例えばスポーツ選手の筋肉増強・身長アップ、テストの前の記憶力増強、男女の産み分けなど。エンハンスメントを無条件に認める立場は少ない。一般的なエンハンスメント批判の根拠は1.自律・自由の侵害2.公平でない3.危険性。これらの批判はレオン・カス、ユルゲン・ハーバーマスフランシス・フクヤマらが行っている。例えばカスは1.、ハーバーマスは2.。フクヤマは根拠がない。
1.は例えば、親が生まれてくる子どもの身長を高くしてしまい、子どもがバスケをやるように強制されてしまうといったこと。2.は例えば、エンハンスメントを受ける料金が高く富裕層だけが受けるようになること。3.は例えば、ステロイドの副作用。

サンデルは「これらの批判はエンハンスメントに特有ではない」と退ける。さらに1.に対しては親は子に必ずある方向付けをして教育をするのでエンハンスメントも程度問題。2.はエンハンスメントが政府から望む者には無料で提供されるようになれば公平になる。3.はエンハンスメントも技術の進歩により安全になりうる。

ではサンデルのエンハンスメント批判の根拠は何か。それが<被贈与性>が失われるというもの。それにより連帯が失われるという。連帯は他者の不運・弱さを前提に成り立つものだから。ただ、すべてのエンハンスメントを否定するわけではない。例えば、サプリメントの使用。では判断基準は何か。サンデルは具体的基準はないとして、目的論をもってくる。例えば、スポーツであればそのスポーツの目的を害するようなエンハンスメントかどうかで判断する。その例が脚の不自由なゴルフ選手がカートの利用権を主張した裁判。この事件は『これからの「正義」の話をしよう』にも出てきた。

まあ法学の立場からは「これしか他に方法がないよな」という気がする。エンハンスメントの境界事例として、低酸素状態を人工的に作り出し、選手をそこで寝泊りさせ、赤血球を増やすことが行われていたが、「スポーツの精神に反する」としてIOCに禁止された。また、オペラにマイク・スピーカーを使うのを「オペラの精神に反する」と批判するファンもいる。

【内容】

基本的には訳者改題にまとめた。

●具体例

相変わらずサンデルの持ち出す例は面白い。冒頭から聾のレズビアンの夫婦(カップル)が聾の子どもをもうけるため何世代にもわたり聾である男性から精子の提供を受け無事(?)聾の子どもを授かったという事例から始まり、いきなり面白い。日本ではこういう例はなかなか手に入らないだろう。
他に飼い猫の遺伝子を郵送するとそれに基づきクローンを作ってくれる会社とか。

優生学

第3章が優生学に割り当ててある。<エンハンスメントを認めることは優生学の復活を認めることになる>ということで議論されている。エンハンスメント支持派は<個人の自由が保障されれば(強制でなければ)優生学に問題はない>と主張する。
アメリカの優生学史。1900年代に初めて強制断種を定めた州法が成立する。オリバー・ウェンデル・ホームズが1927年の判決で「精神病者の強制断種は社会全体にとって望ましい」と断種法に合憲判断をしている。ただその後はナチスドイツの残虐行為がアメリカでも報道され下火になった。
現代において"自由な"断種を行っているのがシンガポール。政府は高学歴女性に対し結婚パーティを無償提供する一方、低学歴・低所得女性に対し断種を条件に低価格のアパートを提供している。

【参照文献】

レオン・カス『治療を超えて』 ※カスは上記の評議会の委員長。本書は評議会の報告書。
レオン・カス『生命操作は人を幸せにするか』
ユルゲン・ハーバーマス『人間の将来とバイオエシックス
フランシス・フクヤマ『人間の終わり』
ジョン・ロールズ『正義論』
ロナルド・ドウォーキン『平等とは何か』
ハンナ・アレント『人間の条件』
アイザリア・バーリン『自由論』
アドルフ・ヒトラー『わが闘争』 ※優生学の文脈で

完全な人間を目指さなくてもよい理由?遺伝子操作とエンハンスメントの倫理?

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これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

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サンデルの政治哲学?<正義>とは何か (平凡社新書)

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サンデル教授の対話術 ( )

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