なぜダブルスタンダードは問題か?正義とは何か?なぜ憲法で13条がもっとも重要なのか?

このブログではこれまでダブルスタンダードが問題だと指摘してきた。ここでのダブルスタンダードの意味は、<両立不可能な基準の適用を機会主義的に主張すること>だ。これまでダブルスタンダードとしてテレビ局とか未成年者の飲酒とかコンプライアンス騒動とか体罰とかアメリカ特許法の先発明主義を指摘した。


今回はなぜダブルスタンダードは問題かについて考えたい。それを取っ掛かりにリベラリズム・法・近代社会といったこのブログでずっと扱ってきたテーマの関係性を示したい。よってこのエントリは今までのまとめになる。
さて上の問いにはいろいろな答え方があるだろうが、一つの答え方は正義に反するため

1.正義

では正義とは何か。正義はジョン・ロールズ『正義論』(1971)のタイトルにもなっている。ロールズのいう正義は公正(フェア)に近い。ここで公正とは"フェアなルール"という言葉があるようにルールについての概念である。(自分の理解では)公正とは人びとの価値観の違いがあるにしても、合意できるルールに則っているといった意味である。だからロールズはルールである法=政治的決定を重視する。特に後期のロールズは。wikipediaの「『正義論』」の項にも「公正としての正義」という言葉が出てくるし、「正義論」の項にも「どのような行為が既存のルールに照らして『正しい』のか」という言葉が出てくる。
公正としての正義についてよくある間違いは<正義は人それぞれだ>というもの。そうじゃなくて人それぞれだからこそ合意できるルールを正義と呼んでいるのだ。<価値観は人それぞれだ>という言い方なら正しい。
現代の政治哲学におけるロールズの影響は圧倒的なので、現在でも正義を公正として理解するが一般的だろう。ロールズを批判するマイケル・サンデルなどコミュニタリアンは、善(何が善かという価値観)という意味で正義の概念を理解している。しかし、少数派だろう。『これから「正義」の話をしよう』(2010)でもサンデルのホンネはロールズの主張する正義(公正)を批判し、自分の主張する正義(善)を擁護すること。<価値観は人それぞれだ>という考え方はロールズを支持し、サンデルを批判する考え方につながる。

2.フェア(公正)

今回問題にしているダブルスタンダードがフェア(公正)でないことは多くの人が同意してくれるだろう。
ではなぜフェアでなければいけないのか。
フェアでなければ<自分の頭でものを考える人びとが共生する近代社会>が成り立たないからだと思う。社会において関係を結ぶ相手がダブルスタンダードを用いて手のひら返しをしてくるような人間であれば信頼できない。信頼できない人間ばかりでは共生ができないということ。例えば、今問題になっているフジテレビの場合は、一方で自ら作り出した韓流ブームで著作権などを利用してカネを稼ぎ、批判されると「自分たちは私企業だから勝手だろ。嫌なら見るな」と言い、他方で放送の公共性だとか言ってカネづるの電波利権を守ろうとする。「こんな二枚舌のテレビ局は信頼できない」という印象をもつのは結構一般的なのではないだろうか。また例えば、アメリカの場合も、その二枚舌がグローバリズム批判の背景にある。これについては以前のエントリでジョセフ・スティグリッツなどの例を挙げた。アメリカ人はフェアを重んじることが多いのに国としてはこの有様だ。

3.リベラリズム

2.で述べた近代社会を前提にしているのがリベラリズムである(以前のエントリ)。リベラリズムロールズなどが取る立場で政治哲学における一般的な立場。リベラリズムは<人びとが自分の目的(価値観)を実現するため自由に行動する環境を整える>ことを目的とする。言い換えると、リベラリズムは<人びとが自分の目的(価値観)を実現するため自由に行動する社会>を目指すということだ。そして<人びとが自分の(価値観)を実現するため自由に行動する社会>は<自分の頭でものを考える人びとが共生する近代社会>を当然の前提としている。なぜなら自分の頭でものを考えない人びとは<自分の目的(価値観)を実現するため自由に行動する>ことはできないからだ。

4.憲法13条

この<人びとが自分の(価値観)を実現するため自由に行動することを認める>のが個人の尊重(個人の尊厳)ということだ。個人の尊重は憲法の13条に定められている。

憲法第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

この13条が憲法の最重要条文であるというのが一般的な理解だろう。つまり実定法の最重要条文ともいえる。
なぜ13条はそんなに重要なのか。既に上に書いたように日本の憲法が拠って立つリベラリズムの目的が個人の尊重だからだ。逆に13条が最重要条文だと考える人は日本の憲法リベラリズムに基づくと考えている人といえる。コミュニタリアンなどリベラリズムに反対する人は13条を最重要だとは考えない人といえる。
この条文が<人びとが自分の目的(価値観)を実現するため自由に行動する近代社会>のルールの根本になっている。憲法はこのような近代社会の基本ルールである。中でも13条は憲法の基本ルールである。人びとは憲法というルールに則って近代社会というゲームに参加し、自分の目的(価値観)を実現するためにプレイしているプレイヤーであるといえる。憲法など法は制度の一種である。以前のエントリで制度とは<アクターの行動を制約するルールの集合>と書いた。アクターをプレイヤーと言い換えれば、以上の説明から、この制度の定義の意味が分かるのではないか。このように理解するのが社会科学における新制度論。

5.まとめ

以上をまとめると、リベラリズムが目指す<人びとが自分の(価値観)を実現するため自由に行動する近代社会>というゲームのルール公正としての正義であり、それが憲法に記されている。中でも13条がその根本のルールだということだ。そして公正としての正義に反するダブルスタンダード(リベラリズムの立場に立つ限り)問題であるといえる。

なお、過去このブログで何度が侵害原理(harm principle)という言葉を使ったが*1、13条の規定中の「国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」ことを侵害原理と呼ぶと考えておくことができる。

正義論

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これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

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*1:危害原理、他者危害の原理ともいう。