橋本治『いま私たちが考えるべきこと』

前回のエントリで<自分の頭でものを考える>ことと<近代と前近代>ということの関連について書いた。この二つの問題を繰り返し取り上げて論じているのが作家の橋本治氏。自分は橋本氏の小説は読んでいないが、今の日本でこの人以上の評論を書く作家はいないだろうと思う。自分が橋本氏を好きな理由は<自分の頭でものを考える>姿勢の徹底で<近代と前近代>の橋渡しをしていることだ。今回は氏の『いま私たちが考えるべきこと』の読書メモを載せておく。

橋本治『いま私たちが考えるべきこと』(2004)新潮社 ★★★★

タイトルは"私"と"私たち"の問題以上に由々しい問題はないという理由でつけたという。言ってしまえば<公共>や<共生>の問題だ。確かに由々しい問題。本書の内容はいつもどおり分かりづらいが結論は単純。いい指摘がいろいろあっておもしろかった。読む価値あり。<"自分のことを考える"が"自分のことを考える"になる人>と<"自分のことを考える"が"他人のことを考える"になる人>がいる。前者はエゴイストで近代人。後者は自主性のない人で前近代人。後者は例えば「〜についてどう思うか」と訊かれると「他人ならこう思うだろう」というのを考えて答える。後者のような人は例えば村落共同体と村人、会社と会社人間、家庭と専業主婦の関係に見られる。根回しとはその人の考えがその人の所属に影響されるため、その人の合意を得る前にその人の所属にはたらきかけること。前近代人は所属を超えた合意ができない。逆に同じ所属であれば合意ができていると考える。前近代人の合意を得る方法は「私たちに参加しませんか」という所属の勧誘である。

日本人が前者はエゴイストだと批判するとき、そこに嫉妬が含まれていないか。例えば「自分のことを考えろと言われて自分のことを考えるなんて恵まれた人だけだ」とか。

なぜ<"自分のことを考える"が"他人のことを考える"になる人>がいるのか。"自分の頭で考える"のは難しいから。人間は他人に育てられるので"自分の頭で考える"ことを大幅に免除されている。他人が自分の代わりに考えてくれている間に「"考える"とはそういうことか」とわかれば"自分の頭で考える"ようになる。一生他人に代わりに考えてもらっていたのが前近代。

近代の民主主義は前近代の支配者に代わって自分の代わりに考えてくれる人(議員)を選挙で選ぶこと。

前近代は伝統主義。伝統主義は過去に答えがあると考える。これは自分の頭で考えなくて済むということ。
近代とは自分の頭で考え自分の現実を構築していくこと。「お前は自由に自分の頭で考えていい。ただし私の既得権益を害してはならない」と説教するのは"近代の皮をかぶった前近代"。「近代は行き詰った」などと言うが行き詰った近代は"近代の皮をかぶった前近代"。

両者は断絶している。互いに相手のことがわからない。それは<共同体から個人のあり方を創り出す>と<独立した個人の集まりから共同体を創り出す>ことが中途半端に投げ出されていることを示す。

同じ人の中で両者が統合せず両立することがある。例えば会社では会社のことを考えるよき社員、仕事が終われば自分のことしか考えないエゴイスト。

両者の違いは自分と他人のどちらを基準にするかという選択の順序の違い。エゴイストは「自分はこう考える」→「他人のことは考えない」→「自分の結論を採用」となる。自主性のない人は「自分はこう考える」→「他人ならどう考えるだろう」→「他人の結論を採用」となる。そこで橋本氏はこの両者を統合すべきだという。そのためには自分、他人の両方の基準を繰り返し適用して考えるということを結論としているようだ。「自分はこう考える」→「他人ならどう考えるだろう」→「でも自分はやはりこう考えよう」と自分→他人→自分と両方考えることができる。

【解説】
末木文美士氏による。

橋本さんは、そのベースは近代的で合理主義的な人だから、前近代的な「"自分のことを考える"が、そのまま"他人のことを考える"」ことから抜け出して、近代的な「"自分のことを考える"が、そのまま"自分のことを考える"」ことに移って、その上で、新しい形の「"自分のことを考える"が、そのまま"他人のことを考える"」やり方を作り出す、という方向を志向している。(p.257)

末木氏は橋本氏より一年遅く東大に入学したという。そこで見た橋本氏の駒場祭のポスターについて。

あれはまさしく土着的な前近代と近代が危うく結びついた橋本ワールドの原点だった。[…]「おっかさん」への甘えと、そこから自立したいという志向と――橋本さんは、その二つの葛藤と合体を見事に表現することができた(p.258)

いま私たちが考えるべきこと (新潮文庫)

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