松井彰彦『不自由な経済』

2011年の本を紹介するシリーズ8冊目。今回は3〜5冊目として紹介した小島寛之氏の師匠でもある松井彰彦氏(東京大)の本を。専門はゲーム理論エコノメトリックソサエティのフェローなので、確実に日本最高の経済学者の一人といえる。しかも日本人フェローの中でも最年少なのではないか。

不自由な経済

不自由な経済

松井彰彦『不自由な経済』(2011)日本経済新聞社 ★★

ひさしぶりの松井彰彦氏。新刊が出ていたので読んでみた。本書は日経新聞での連載をもとにしたもの。第1部は2011年の震災前、第2部は2007〜2009年。
本書の評価だが、第2部の連載には「複眼思考で現実社会を読む」と副題がついていたそうだが、悪い意味でその通りの内容。「ある現象に対しAともいえるしBともいえる。いずれにせよ・・・が重要だろう」みたいな書き方が多い。問題はAもBも・・・も典型的で分かりきっていて読む価値がない場合が多いことだ。そんなことは分かってるんだから、ある視点Cを提示し、それに絞って何か新しいことを書かないとダメだろう。「なんか新聞記者が書いたような内容だな」と思いながら読んだ。
例えば、新日鉄・住金の企業結合事案は独占の弊害もあるが、国際的な競争力も考慮すべきだ。「いずれにせよ慎重な議論が必要だ。[・・・]落ち着いた状況下での冷静な判断が求められる。」(p.55)。当たり前じゃないか。そんなことを書いても意味がない。他にもいくらでも例は挙げられるが意味ないのでこれだけにしておく。


今まで安定していい本を書いてきた松井氏がこんな本を出すとは残念だ。今まで読んだ松井氏の著書の中で最低評価。特に第2部は上述のような理由で低評価。

【はしがき】

小泉改革の問題は再分配・事後規制への転換を後回しにしたまま規制緩和を進めたこと。

【第1部】

さるかに合戦など物語を題材に経済学っぽい考え方を解説している。「不自由な経済」というタイトルは「市場がない」ことによる不自由を意味しているのだろう。そのような例が幾つか出てくる。

●売り手独占

経済学の教科書では、独占というと売り手による独占のことが多いが、実は買い手独占のほうが深刻である。(p.33)

確かに。 

独禁法改正

[松井氏の試算では]カルテル・談合による経済的損失は政府の公共調達に限っても年間二兆〜五兆円となる。(p.50)

本書には独禁法改正の話がよく出てくるが当時、政府委員でもやっていたのだろう。

勝者の呪い

周波数オークションに対する「勝者の呪い」があるという批判を、ゲーム理論を勉強してないから「勝者の呪い」によって余計な資金を使う羽目になっただけと退けている。非常に簡単な例で「勝者の呪い」を回避する方法が紹介されているが、どんなオークションでも同じなんだろうか。疑問。

大数の法則

人間の行動は互いに影響し合うので大数の法則が当てはまらない。

【第2部】

大企業では2001年から05年の間の一人当たりの従業員給与は5.8%減少したのに、役員の給与プラス賞与は97%増え、一社当たりの配当は実に174%も増加したという。(p.101)

筆者はこれ[単純労働が中国・インドに流出すること]をむしろチャンスと見る。今後日本の労働需要は貿易やアウトソーシングで代替できない介護や育児など人と人が触れ合う職種に移行していくことが予想されるからである。(p.103)

ずいぶんのん気。「触れ合い」とはね。

食料自給率の極端な低下が日本の安全保障に大きくマイナスに働くのは間違いない。(p.133)

これも同意できない。

「金融市場」は、一言でいえば、今日の貨幣と明日の貨幣を交換する市場のことである。(p.152)

基本だが重要なこと。

戦後の日本は企業一元支配社会であり、企業から排除されれば社会的にも排除されるような社会に本当の人間的な絆はあったのか、という問いかけは必要だろう。(p.184)

たいていの「昔はよかった」論は心理的なバイアスなんじゃないか。

【参照文献】

ジョン・マクミラン『市場を創る』
日経新聞社 編『経済学 名著と現代』
チャールズ・ディケンズクリスマス・キャロル

第2部は記事ごとにさまざまな時論が参照文献に挙げられている。その参照文献の著者を列挙してみる。すべてではないがほとんど。数字は参照が複数回である場合の回数。

八代尚宏3、岸田秀郷原信郎苅谷剛彦、若田部昌澄2、大竹文雄3、岩本康志、橘木俊詔3、中谷巌青木昌彦2、神保哲生田原総一朗神野直彦4、宮台真司、竹森俊平2、福田慎一、齋藤誠3、堂目卓生3、飯田泰之佐々木毅、ジョセフ・スティグリッツ2、伊藤元重7、河合隼雄伊藤隆敏野口悠紀雄3、福井秀夫、鈴木宣弘、島田晴雄宇沢弘文3、吉川洋3、土居丈朗2、仲正昌樹西村博之鷲田清一、松島斉、岩井克人3、植田和男、エマニュエル・ウォーラーステイン、駒村康平、ユルゲン・ハーバーマスポール・クルーグマン上野千鶴子2、湯浅誠ジョージ・ソロス小野善康小島寛之浜田宏一、村上政博、塩野谷祐一竹中平蔵2、井堀利宏、姜尚中2、山形浩生内田樹伊藤光晴、藤原和博ジャック・アタリニーアル・ファーガソン

岩田規久男氏や八田達夫氏が出てこなかった。